相手の目線に立ってみたら
「相手の目線に立って......」
子育ての場面でも、本や講演会などで「しかる前には子供の目線に立って一呼吸置いて......」などよく耳にします。これは主に「相手の立場になってみる」という意味であり、子供に対してだけでなく、人間関係のあらゆる場面でとても大切なことだと思います。
私は主に子育ての場面が多いのですが、すでに大人の私にとって、相手(さくら 2歳)の立場になってみることはなかなか難しいです。
家の中では、基本的には私が女王のように日々のスケジュールをコントロールしているため、とくに不満はありません。思いどおりにいかないのは、ひたすらさくらの動向でしょうか。こちらは私の思うようにいくことはほとんどありません。
たとえば以下の感じです。
・ご飯を食べると服に食べこぼしがたくさん付いてしまう
→出かける前だけど急いで着替えなきゃ
・ご機嫌に絵本を読んでいたら、食べ物の場面が出てきた
→急に思い出したように「マンマ」と叫び始め、結局予定外のおやつをあげるはめに
・食材をたくさん買い込んだ帰り道、公園を通りかかると遊具を見て遊びたいと騒ぎ始める
→本当は早く帰って食材を冷蔵庫に入れたいが、我慢して少し公園で遊ぶ
パターンはだいたい決まっているので、食事前は食べ物が出てこない絵本を選ぶ、急ぐときは公園が見えない道を通るなど、なるべくこのような事態を回避するよう努力していますが、それでも毎日振り回されてばかり。子供の立場に立つどころか、たまには大人の都合も考えてよね、とついさくらにお願いしてしまいます。
そんな私も、何か言い聞かせたりしかったりするときは、なるべくしゃがんで子供の目線と同じ高さになり目を合わせるようにしています。何でもまねっこするのが大好きなさくらは、私がしゃがむと自分もしゃがんでしまうので、なかなか同じ高さになれないのが難点ですが......。
実際に子供と同じ高さになってみると、相手の気持ちのほかにも、普段はなかなか気づかないことが見えたりします。
たとえば洗面所の水道の蛇口、シャワーになっている部分なのですが、下から見ると一つひとつの穴にところどころ黒い汚れが付いていたり、立っていると見えにくいけど実は鏡に水滴のあとがたくさん残っていたり。
子供に「こうしたらだめよ」などと言い聞かせながらも、頭の中では「あ、あそこもあとで掃除しなくちゃね」などと気づくことも多いです。
台所では「ここならさくらには見えないだろう」と高い位置に隠したつもりのおやつが、いざさくらと同じ目線になってみるとばっちり見えていて、あわてて隠す場所を変えたり。
また、駅やスーパーなど人がわりと密集する場所では、さくらは突然歩くことを断固拒否し半泣きで抱っこをせがんできます。
なんでだろう?特に普段と変わらないのにな、と思っていたのですが、いざ自分も同じ高さになってみると、大人が多い場所では子供の目に入ってくる光景は大人の足ばかり。その足取りも常に流れている場合が多いし、ときにはさくらとぶつかってしまうことだって考えられます。
もし私が巨人の世界に足を踏み入れてしまったら。きっと目の前に見える光景は足ばかり、それもどんどん自分に向かってきたら、私だって怖くて動けなくなりそうです。
なるほど、だからさくらは大人が多い場所では歩きたがらないんだ、大人と同じ目線に立ちたかったんだ......。
理由がわかれば、どんなに疲れているときでもがんばって抱っこしようと思えそうです。
相手の立場になって考えることは想像の世界なので少し難しいですが、実際に目線を同じ高さにすることなら私にもできます。
そうすれば2歳児の気持ちも少しは理解できそうです。そして、これまで気づかなかった風景や汚れも見えてくるかも!
一緒にしゃがんでしまったら、同じ目線にはなれませんよね......。 |