待ちわびた春
桜の季節を迎えその美しさに感激し、そしてその桜も散って新緑のまぶしい季節となりました。
我が家はこれまでのアナグラの中にいるような閉じこもりきりの生活から脱出、少しずつ散歩や買い物などに出かけるようになり、桜を楽しみました。
特に満開の時期は、天気がいいと家にいるのがもったいなくて、用事もないのに駅まで散歩したり公園のベンチに座ってお茶を飲んだり。
「こどもの国」というレジャー施設にも進出し、桜の下でお弁当を食べたり、牛や羊を見たりしました。
さくらにとってはどれも初めての経験。
太陽の日差しがまぶしくてたまらない表情を見せながらも、実はしっかり楽しんでいるようでした。
私にとってこの季節は格別です。
去年の今ごろは、一日中病院のベッドで過ごしていました。
早産の危険が十分予想されていたので、子供を1日でも、1分でも長くお腹に入れておくよう、とにかく安静生活。お腹に力を入れて子宮を刺激しないよう、食事さえ寝たまま食べていました。
そして、とうとう妊娠8カ月で出産してしまいました。
あまりにも未熟な状態で産んでしまった罪悪感、出産の疲れ、長期安静生活による運動機能の低下。
精神的なショックと身体の故障が重なり、季節を感じる余裕もなく、ひたすら目の前のことに追われながら過ごしてきました。
友人に「さくらちゃん、もう1歳だね、この1年間どうだった?」と聞かれます。
振り返ってみると、前半の半年は毎日入院中のさくらの面会に通いましたし、
後半は、退院したさくらが風邪やインフルエンザにかからないよう、ひたすら家から出ない生活でした。
どちらも季節を感じる余裕もなく、ただ淡々と日が過ぎていったように思います。
しかし、さくらは日に日に「サル」から「人間の赤ちゃん」へ、そして最近は立派な「乳児」に成長しつつあります。
生まれてからずっと口や鼻につけられていたミルクや酸素などのチューブも少しずつ取れていき、先日ついにすべてのチューブがはずせることになりました。
また、生まれてしばらくはぼうぼう生えていた腕や背中の体毛(通常では見られない)も、少しずつ抜けてつるつるの肌へ。
元気になると昔の辛さは忘れてしまいがちなのですが、思えばついこの前まで決して健康ではない、危険な状態でした。
出産したとき、主治医に「未熟児で肺に炎症を起こし治療に時間がかかるし、もし良くなっても冬はいろいろなウイルスがいて危険なので、酸素チューブが取れて通常に生活できるのは春くらいからかな」と言われていました。
また、もともと実家に里帰りして出産する予定だったのですが、切迫流産で突然入院、そのまま出産し結局里帰りができずじまい。地元の友人に「いつ帰ってくるの?」と聞かれるたびに「春になってさくらの病気が治ってきたらね」と答えていました。
そう、私にとっては、待ちわびた春だったのです。
さくらが元気になり酸素チューブが取れて、自由に外出できるのも春。
地元の親や親戚、友人たちに会えるのも春。
それまで頑張ろう、耐えよう、じっと家で過ごそう。
そしてついに春を迎えました。
帰省は事情があって夏くらいまでお預けとなりましたが、
さくらの病状は順調に回復し、近場の外出を楽しんでいます。
去年この公園を通ったときは、こんなに緑がまぶしかったっけ?ここにこんな花が咲いていたっけ?
なんて思いながら。
先日さくらは無事1歳の誕生日を迎えました。
そして新たな1年の始まりです。
来年の今ごろはどんなことを感じているのか、どれくらい成長しているのか、とても楽しみです。
初めての「ピクニック」?? | 牛と初のご対面 「よ」のおっぱいもモーモー現役です(^^;) |