知ることと望むことソクラテスの石
最近面白いと思って読んでいる思想家について、小咄をひとつ。ちなみに、私は哲学の専門家でも何でもありません。でも、服や食べ物を買うお金を削ってでも関連する本を買い、寝る時間を削ってでも本を読むという程度には「哲学好き」だと思います。
昔ギリシアにソクラテスという、牛のような眼をした男がいました。恐妻家で美青年好きの彼は、アテナイの街中で来る日も来る日も哲学の議論に明け暮れていました。そんな彼を哲学へと向かわせたきっかけは一風変わったものです。まだ哲学に「はまる」前のソクラテスは、ある日デルフォイの神殿でお告げを受けました。
「ソクラテスほど賢い者はいない」。
この内容からしてすでにどこかひっかかりますが、とりあえず先に進みましょう。
この神託を聞いたソクラテスは「それは本当だろうか。よし、自分で確かめようじゃないか」と考えました。それからというもの、彼はあらゆる分野でひとかどの知者と呼ばれる人々のもとを訪ねては議論を交わし、(彼が自分でいうには)ことごとく彼らの無知を暴きます。そのやり方はあまりフェアであったとはいえません。たとえば、彼は詩人に美とは何かと訊ねます。それはよいのですが、詩人はふつう、(イメージも含む)自分が感じ考えたことや今まで読んだり書いたりしてきた作品、つまり自分の経験を通して詩の美を考えます。ですから、詩人は自分の経験を抜きにして美(ここでは真理の一種)が成り立つとは考えません。同じようなことは詩人以外の人々にもあてはまるでしょう。しかし、ソクラテスの考えは違います。彼にとって、真理とは感覚でとらえられるものを超えたところにあるのです(たとえば、個々の芸術作品がもつ美を可能にする「美それ自体」)。ということは、多分に感覚的なものを含む経験に基付いた知識をもっているだけでは「ほんとうに」知っていることになりません。
したがって、ソクラテスによれば「彼らは自分が真理を知っていると思っているが、実際にはそうではない」。もちろん、そういう彼自身、最も賢いのは自分だという確信があるわけではありません。しかし、彼は「自分が知らないということを知っている」以上、議論の相手たちよりは「知っている」ことになるわけです。結局、ソクラテスは自分よりも賢いと思える相手を見つけることができませんでした。彼は議論の前提となる真理の基準そのものを変えたのだから、それは当然かもしれません。経験を通して物事を知るふつうの人間には決して手の届かない真理を自ら設定し、自分の無知を知っていることをも「知」に数え入れるという発想の転換は、議論においてソクラテスを無敵にしたのです。こんな調子で彼は哲学の道を歩き続け、彼の姿勢に共感する弟子も少なからずもちました。
70歳を過ぎた頃、彼はある理由で告訴されます。「ソクラテスはギリシアの神々を信奉せず、青年たちを退廃させている」という嫌疑をかけられたのです。彼は法廷で弁明します。「私は神々を充分信じているし、青年たちは自ら進んで哲学の議論をしているのだ。この裁判は正しくない」と。実は、この裁判には昔ソクラテスと議論をして恥をかかされたことのある有力者が関わっていました。そうした人物の働きかけもあったのか、ソクラテスに死刑の判決が下されます。もし自分の主張を曲げて相手に譲歩すれば、もう少し刑も軽くなったでしょう。また判決を受けた後も、友人の援助によって脱獄するチャンスはありました。それでもソクラテスは、悪法もまた法であるとして判決を受け入れます。ひと月近く牢屋に入れられた後、彼は家族や友人そして弟子たちに最後の別れを告げ、看守が差し出した毒杯をあおぎます。
このように、ソクラテスは哲学に一生を捧げた人でした。彼は人類最古の哲学者というわけではありませんが、その思想と生き方が後世(の、少なくとも哲学関係者)に与えた影響は計りしれません。
現代では、哲学は世界中(主に欧米ですが)の専門家によって学問的に研究されています。この哲学という学問は(今ではここまで露骨にいう研究者はいませんが)あらゆる学問の基礎を据え、もっぱら論理の力によって真理を明らかにしようという野心をもっています。18世紀以降、一般に哲学を学ぶのは大学の哲学科の学生であり、それを教えるのは哲学科の先生です。しかしながら、いったん哲学の専門的立場に身を置いてしまうと、真理の探究という目的に向かって邁進するには大きな困難が伴います。それは過去の哲学者が残した膨大なテキストです。独自の問題を立てる、または独自の解答を提出する営みそのものと区別して、こうした過去のテキストの保存や解釈・批判のことをここでは哲学史と呼びましょう。学問的な研究の対象となるのは主に後者なのですが、それを学ぶためには多くの外国語や歴史的・文化的知識が必要になります。たいていの研究者は勉強時間の大半をこれらの知識の習得にあてるでしょう。そしてそのまま、実質的には哲学史の研究者になります。あるいはもっと限定して、たとえば現象学や分析哲学などの研究者になります。つまり、哲学という専門的な学問が確立され、さらにその哲学の中でおびただしく専門分化しているのが現状です。
ソクラテスの話に戻ります。彼は「ソクラテスほど賢い者はいない」という神託の真偽を確かめようとして哲学を始め、(哲学を含む)あらゆるジャンルの一流の知者と議論を交わし自分(そして相手)を吟味したのでした。このきっかけこそがそもそもの問題ではないでしょうか。「問題」とここで私がいうのは、別にそれが悪いことだとかダメだということではなく、とりわけて重要な事柄であるという意味です。神託とは、神がかった巫女がお告げをする占いの一種です。現代の占いをみてもわかるように、それは謎かけのようなものです。つまり、その文言そのものに意味があるのではなく、それを受けとめ解釈する者がいてはじめて意味がわかるようになるという代物です。もしソクラテスが最初から例の神託を聞き流すような人間だったら、彼は哲学には向かわなかったかもしれません。そもそも自分が賢いかどうかということにあまり関心をもたない人がいても何ら不思議ではないでしょう。しかし、彼はその正反対でした。彼は「もしかしたら自分が最も賢い者かもしれない」とか「いや、自分が最も賢い者なはずはない...」などと考えて、要するに神託が気になって気になって仕方がなくなってしまったのです。これはおそらく、ソクラテスが異常に注意深い人間だったということではないでしょう。神託の内容が、ソクラテスの中にもともとあった「賢くなりたい」「いろんなことを知りたい」という願望に驚くほどマッチしていたということかもしれません。だからこそ、彼は神託の言うことを「真に受ける」ことができたのではないでしょうか。もともと「知ること」に関心のあった彼は、神託の言葉に鼓舞されたのです。
先ほど現代の哲学研究者に触れました。彼らもまた、一見どんなに異なった仕方で哲学に関わっているように見えても、ソクラテスのような哲学者と同じ力に突き動かされているのかもしれません。つまり哲学に携わる者とは、推理小説好きが謎を解こうとする探偵に自分を重ねるように、上のようなソクラテスの欲望を模倣し、我がものとしてしまった存在なのではないでしょうか。しかし、いわゆる哲学には関わらなくとも、こうした第二、第三の(...第n番目の)ソクラテスはそこらへんに見つかるのかもしれません。「知ること」自体は本来、学問的な哲学の専売特許ではありませんから。
↑(c) Janson "History of Arts" 4th edition, Prentice hall.Inc.1990 |