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企業と人材 第41巻924号2008.05.05

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特集 先輩社員の指導力を鍛える

教育スタッフPLAZA 連載:教育スタッフにこう言いたい! 第29回
【経営者の視点から研修を見直し、現実的な効果を目指す】

<以下掲載内容>

1.組織の体質改善に成功したアメリカ企業の話

社員教育に携わる私にとって忘れられない話がある。10年ほど前、アメリカの企業視察に行き、西海岸にあるケーブルテレビの会社を訪問したときのことだ。その会社はコックス社といい、前年にCS(顧客満足)活動に熱心な会社ということで表彰されていた。
ケーブルテレビの会社は、もともとはCSと縁遠い会社とされていた。地域ごとに棲み分けられて競合がなく、少々顧客に不満があっても業績には影響しないためだが、そこに衛星CS放送という強力なライバルが出現する。すると、コスト面でもチャンネル数というサービス面でも太刀打ちできず、たちまち存続の危機に陥ってしまった。
そこでコックス社は2つの戦略をとった。1つは従来の同軸ケーブルをすべてデジタル回線に転換することだった。これには莫大な投資が必要となるが、それによって、配信設備や編集作業にかかるコストを大幅に引き下げ、チャンネル数も増大して、柔軟な番組配信が可能となる。そしてもう1つの戦略は、徹底的に顧客に密着することだった。広域を対象とする衛星CS放送ではできない、きめ細かなサービスで顧客を確保しようとした。
私たちの応対をしてくれたのは、トレーニング部長という肩書きで、黒人で体格のよい男性だった。以前は空軍でトレーニングの将校をしていたが担当していたが、この変革の時期に社員のトレーニングの担当としてコックス社に入社してきた。彼は、この数年で成し遂げた会社の変化を冗舌に語ってくれた。その話の内容は、当時の私がイメージしていたアメリカの労働者の姿とは全く違っていた。母親が亡くなった日にも、自分がケガをしたのも省みず、お客さまのためだからといって献身的に行動した社員の逸話の連続であったからだ。
私はそのときすでに企業内教育の仕事を10年以上経験していたが、教育で企業がそんなに劇的に変化した事例は聞いたことがなかった。私は、いったいどういう教育をしてそんなにうまくいったのかと興奮して聞いてみた。すると黒人のトレーニング部長は大きな目で私を見つめ、うなずいてこう言った。
「一番大切なのは、採用だ」
私は意表をつかれたが、そこがアメリカであることを考えると当然のことだった。コックス社では採用時に、「顧客満足の向上」に関連する事項を職務記述書に明記し、それにもとづいた雇用契約を結んでおくのだという。

2.教育による効果と教育では越えられない壁がある

私は今、自分の会社を経営し、社員を雇用する立場にある。ここ数年は、新しく採用した社員を指導する仕組みもでき、未経験者を採用した場合でも、数カ月かけてみんなで指導し、一定の戦力にできるようになってきた。小さな会社なので、入社してくる人材は大手企業と比べると見劣りするかもしれないが、手塩にかけて育てた社員の質はどこにも劣らないと自負している。
しかし、社内で育成する仕組みができるにつれ、採用の重要性を痛感することも多くなった。基礎学力の面で不足している部分があると、それに関連する分野を教えるのは容易ではない。また、対人能力で偏りがあると、顧客と接する仕事での勘所を教えようとしてもなかなか伝わらない。弊社の場合、デザインやシステムが関連する仕事も多いのだが、これらの領域で苦手意識があると学習させること自体に壁ができてしまう。ときには、ある分野は教えることを諦めてしまうこともあるし、本人が社内に適応できず、退職してしまうこともある。
こうして難しさに遭遇するたび、教育には限界があるし、教育だけでは越えられない壁が存在していることを実感してしまう。単純に考えてみても、入社してくるときの能力は、生まれてから20年以上かけてたどり着いた結果だし、それを仕事の合間の指導や数日の研修とかで埋められるはずもないのだ。
小さな会社では総合的に優れた人材は来ないので、働いてくれる人の適性を活かしていくしかないのはわかっている。また、それぞれ自分の持ち味を活かして頑張ってくれていることは自慢でもあるが、ときどき、他社で若手の優秀な社員に出会うとうらやましく感じてしまうこともある。

3.教育をして感じる費用の重さ

研修の仕事をしていると、経営層の判断に揺さぶられることがある。絶対にやったほうがよいと思える研修でもトップの決裁が下りなったり、前年までトップも高い評価をしてくれていた研修が、予算縮小で中止になってしまったりするなどだ。そんなとき、「あの会社はダメだね。トップに戦略性がないから」などと同僚と愚痴を言い合うのがいつものパターンになっていた。
ところが自分で会社を持ち、社員を雇ってみると、教育はとても高い買い物だと感じる。むろん教育には一定の効果があると思っているし、セミナーの価格や講師料金の妥当性もわかってはいるが、決してお買い得だとか先行投資だとかは思えない。特に会社を設立した当初は、会社の資金は自分で出資し、自分が稼いだ資金という感覚が強く、そこから社員たった1人の数日の研修のために10万円前後のお金を支払うなんてとても決断できるものではなかった。
もっとも、弊社は研修会社でもあり、ひととおりのことは社内で教えることもできたのだが、できれば若い社員には大手企業に入社したのと変わらない体験をさせてやりたいし、公開セミナーにでも参加させてあげたいと思っていた。しかし業績が厳しく、給料を支払うのにアップアップしていた数年間は、とても教育にお金をかける余裕はなかった。
そんなとき、研修をやっている人から「あの会社は……」という話を耳にした。決定していた研修を景気悪化を理由にトップが中止と言い出し、担当者もやる気をなくしていたのだという。私は無性に腹が立ち、「いや、そんなことでやる気をなくす程度の研修なら、中止して当然ですよ。本当に必要なテーマなら、その担当者が他の手段を考えればいいわけだし」と以前とは全く違う反論をしてしまっていた。

4.研修で教える知識や技法の効果には疑問が

私自身は研修の仕事も長いため、マネジメントに関する知識や技法なら、一般企業の平均的な管理職より多く持っているつもりだ。そして、それらの知識や技法は、私自身の仕事の中でも当然活用しようとしている。例えば、部下と接するときの「聴く」ことの大切さは当然知っているし、聴き方の技法も、気持ちや考えを引き出す質問法も知っている。そして、実際に部下と接する場面でも、できるだけ「聴く」姿勢で接するよう心がけている。
しかしながら、部下の話を聴いたからといって、仕事がうまく展開するとは限らない。私が意見を言うのを我慢して聴いていると、部下は私の考えとはまったく逆のことをしゃべり出すこともある。あるいは前回さんざん時間をかけて合意したことがどこかにいき、また振り出しに戻って話し始めることもある。そしてときには、聞き捨てならないことを言い出すことさえある。
私の性格の問題なのかもしれないが、気がつくと部下の話を遮って自分がとうとうとしゃべっていたり、どうしてそうなるのかと詰問調で問いただしたりと、後で後悔する対応をいまだに繰り返している。なんとか我慢できたときも、合意できない意見を放置できないので、質問技法を駆使して部下の意見を誘導し、部下が十分納得しないまま私の考えに合わさせてしまうこともある。
マネジメント教育で教えているこの「聴く」という対応は、本当に効果的なのだろうか。一定の効果があるとしてもいつまで聴き続ければよいのか、あるいは何度聴いても進歩がないときにはどこで見限ればいいのか。いざ実践しようとすると疑問だらけだ。たまに私が部下の話を入り口だけ聴いて結論をポンと言い渡してやると、部下は安心して仕事に取り組んでいるように見え、ますます疑問は深まるばかりだ。 数日間の研修で教えていることの中では、この「聴く」と同じように、現実の場面では活用するのが難しい知識や技法が少なくない。例えば対人系の技法は習得が難しいし、問題解決系の技法は煩雑すぎるし、マーケティング系の分析手法は素人がやっても当たらない。受講直後は役立ちそうに思えても、研修だけではほとんど実務には活かされずに終わってしまう。
私自身の中では、「聴く」姿勢の大切さは実感できている部分もあるし、今では状況や場面に応じた使い分けも自分なりに何となく整理できてきた気もする。しかしそれは研修の中にヒントがあったわけでなく、20年ほど前に知った知識を繰り返し試したことでやっと糸口をつかめただけのことである。

5.経営者の立場から研修に期待するもの

弊社には中堅どころの社員が数名いる。今でこそ会社の中では中核的存在だが、入社時点では目を引く能力を示したわけではなかった。また、彼らが入社してしばらくの間は業績も厳しく、十分な教育機会を与えてあげることもできなかった。にもかかわらず、現在の彼らと最近入社してきた社員の仕事ぶりを比較すると歴然とした差があるし、その差は簡単には埋まるように思えない。
彼らが身に付けた実力は、数日間の研修で習得したものではなく、毎日の仕事の中で努力し、数年かけて培ってきたものだ。もっとも、費用はかけなかったものの、社内での指導や勉強会はやってきたし、無料の半日セミナーなどを探して参加させたりもしてきた。しかし、彼らが力をつけてきたのは、何といっても仕事の中で苦労し、踏ん張ってきたからだ。
しかし、もし適度なタイミングで研修機会を与えることができたら、彼らはもう少し効率よく成長できたかもしれないし、今以上に可能性を広げることができたのではないかと思うことがある。もちろん、研修を受講したからといって劇的な変化が生じるなどとは思ってはいない。そうでなく、きちんと運営されている研修であれば、1日受講したら1日分の刺激があるし、1つや2つは新しい知識との出会いもある。その1日分の体験は、毎日の仕事をしているだけでは得られない体験であり、受講後に目立った効果はなくても、仕事を一所懸命していればら必ずどこかに活きてくると思えるからだ。
そんな反省もあり、最近は、新しく入社した社員には必ず何かのセミナーに参加させるようにしている。また他の社員にも、自分で出てみたいセミナーがあったら、積極的に参加するように促している。受講に際しての要件は1つ。「1受講者として素直に学習してくること」だけだ。これは、研修会社の社員を気取って、プログラムの構成やインストラクションを批評しはじめると学習効果が上がらないし、主催者に対しても失礼なためだ。
また、セミナーから戻ってくると必ず誰かが「どうだった?」と声をかけるようにしている。ときには意地悪に「高かったんだから成果だそうね」とプレシャーをかけることもあるが、これらもレビューを促し、リハーサル効果を狙ってのことだ。
社外セミナーは今でも「高いな」と感じる。それなら1回1回の受講の効果を少しでも高めたいと考えるのは、経営者の欲かもしれない。

6.やり手の教育スタッフから感じたこと、学んだこと

私はこれまでに何人かの相当にやり手と感じる教育スタッフと仕事をする機会に恵まれてきた。彼らに共通する特徴は、物事を現実的に捉える視点を持っていたことだ。教育や研修に対しても、過大評価することはないく、その特性と可能性を考えたうえで私に要求を投げ掛けてきた。これらの人にはごまかしは通じないため、私も企画を考えるのが毎回真剣勝負になるが、いろんなチャレンジもさせてもらえたので一緒に仕事をするのが楽しかった。
チャレンジした研修は、当たることもあれば外すこともあった。しかし、研修でできることとできないことをきちんと理解してくれる人が多く、失敗しても逆にはげまされることが多かった。よく言われたのは「わからなくてもよいから受けさせよう」「すぐにできるとは思ってない」「研修だけでそこまで求めてない」などだったが、社員に多くの学習機会を与えようとする情熱や、そのうち必ず活きてくるという信念のようなものを感じる人が多かった。
金銭感覚にも独特のものがあり、「何人分の人件費ですね」「あの機械を1台買うより効果がありますか」「今回は予算ないので……」などギクリとすることも言われたが、必要と思った研修には予算を取ってきて一気に投入する大胆さがあった。また、周囲を巻き込むことにも長けていて、開講挨拶に必ず役員の誰かを連れてくる人、連続の研修の最終回に上司を引っ張り出してくる人、研修内容と関連する部署の担当者をオブザーブさせる人など、やることは違っても研修への協力者や理解者をいつの間にか増やしていっていた。

本稿では、研修屋としてではなく、研修会社の一経営者としての立場から、干頃、社員教育に対して実感していることを書きつづってみた。実はその中に私が敬服させられた教育スタッフの方々から教えられたことを織り交ぜている。これらの教育スタッフは、おそらく経営者に近い感覚を持ち合わせていたと思えたからだ。実際にその多くは、のちに社長や役員に上り詰めていった。
そのうちの一人が子会社の社長に転身され、そこのスタッフが人材育成に「戦略」という言葉をつけて社長に説明していたとき、その社長は「アホか」と切って捨てた。「人材育成など戦略でも何でもなく、企業がやらなければならないこと」というわけだ。「仰々しく考えず、研修1本1本大事にやれ」というのがその時の社長の指示だった。
そして最初の管理者研修の夜、社長も交えてビールで簡単に懇親会をやることになったのだが、ビールはすぐになくなってしまった。社長は「もっと出せ」と指示したが、担当者は「でも社長、規則ですし予算も……」と困った様子だった。すると社長は私のほうをチラッと見たあと、担当者に向かって言われた。
「まだわかってないなー。これからが研修だろうが。な、伊藤」 これにはさすがに私はうなずくわけにはいかなかった……。

「企業と人材」41/924号 より

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