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私じゃない

更新 2013.12.13(作成 2013.12.13)

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第7章 新生 9.私じゃない

「バカを言っちゃいかん。俺が今まで、マル水からの枷鎖を解こうとどれだけ頑張ってきたかわからんのか」
樋口の言葉に力みが入り、空気が張りつめた。
「それはわかります。感謝もしています。だからといって企業統治のルールを歪めていいとはなりません。会長はもう、十分やってこられました」
坂本も強く言い返した。
「何を言うか。俺にはまだしたいことがいっぱいあるということだ。中国食品飛躍の第2ステージを立派に演出しなければならんのだよ」
「いやいや。それはお止めになったほうがいい。区切りというものがあります。第2ステージは次の人がやるべきです。時代感覚、経営感性がまるっきり違ってきています」
「それほどおかしいか」
この問い返しが、樋口の心の迷いを表していた。自信が崩壊しかけている証しだ。
「いえ。立派です。これからも立派な経営をされていくことでしょう。しかし、感性が違うから後追いになります」
「経営がうまくいくならいいじゃないか」
「いえ。それとは関係なく時代が変わっていくのです。時代が新しい舞台を求めていくのです」
この言葉に、樋口は自分の老いを感じた。
「私は会長を敬服しております。会長の手腕なくしてわが社の復興はなかったでしょう」
「それじゃ、もっと大事にされてもいいじゃないか。俺はこの10年、粉骨砕身わが社のために働いてきたつもりだ」
「会長には心から感謝し、尊敬もしております。中国食品の全社員がそうでしょう。しかし、それとこれとは別です。会長は偉大なまま去るべきなんです。ここです」
「去らなければいかんかね」
「会長が大人しくしていてくださるのならいくらでも大事にしてもらえるでしょうが、ジッとしておれんでしょう。それを老害といいます」
「俺は老害か」
樋口はムッとした。だが、そう言われると「本当にそうなのかもしれん」と、少なからず心が揺れたことは事実だ。
「例えです」
それを見越して坂本は、少しなだめた。
そもそも老害などというものは本人にわかるものではない。誰も自分が一番正しいと思って舵を切っている。例え不都合が起きても自分なりの理屈と事情をあげつらい、時代錯誤を認識できないのが老害だ。
「世間には、老害を撒き散らし、皆から愛想をつかされた上、追われるように辞めていく例はごまんとあります。会長には晩節を汚すような真似はしてほしくないのです」
「わかっちょる。だからこうして引退することにした」
最後は、吐き捨てるように憮然とした言い方になった。
「はい。だから私が望んでいることではないんです。その決断に感服します」
……2人の会話が途切れた。
僅かな時間の隙間だったが、2人の脳裏に10年という中国食品再生の軌跡が回想された。それはほぼ樋口の功績そのままの歴史である。

「後任は竹之内さんで間違いないですね」
「そうだ」
樋口は面白くなさそうに口を尖らせて言い放った。
「どんな人なんですか。経歴を見るかぎりでは、マル水のトップになってもおかしくないような気がしますが」
「俺と同じだよ。時のイタズラがそれを阻んだ。俺の時はわが社の事情が、竹之内さんはマル水の事情がここに来させたということや」
「マル水が大変なことはよくわかりますが、それだけで経営の柱ともいうべき人を出しますかね」
「うん。俺もよくはわからんが、なにかあるから送られてきた。或いは、この人事そのものがマル水の経営戦略に組み込まれたものかもしれん。そうでないとあまりにも唐突すぎる。大体、そんなことはお前さんの得意とするところだろう」
「いや。今回は全く掴み所がありません。今、マル水が大変な状況にあるのは聞いています。それだけにいい人材はいくらでも欲しいでしょうに、トップクラスの人材を送ってきた。何か特別な事情があることくらいは容易に想像がつきますが、それが何なのか全くわからない」
「うん。マル水も得俵に足が掛かっているからな。数字上はなんとか取り繕っているが、無配に落ちるのも時間の問題だろう。株価が100円を切ったときが赤字のサインだな」
「額面を切るんじゃないんですか」
「それは債務超過に陥ったときだ」
「そんなもんなんですか」
「株屋というのは生き馬の目を抜くと言われるほど目端を利かせているものだ。この会社が赤字になると読めば配当が期待できないからさっさと売り逃げする。だから決算数値が明るみになる前に先行して株が下がる。半年先を織り込むのが株だ」
清貧を旨とする坂本は博打には一切手を出さない。勉学として個別企業の政策や業績は大いに研究するが、投資として株式を見ないから株価変動の特性などはよくわからない。組合としてマル水の株式を購入するときも、組合の戦略と余資力と株価とを秤に掛けて購入しただけだ。
株式ということにあまり馴染みがない坂本は、「そんなものか」とただうなずくだけだった。
「大きな時代のうねりがわが社を巻き込もうとしているのかもしれん。第2ステージはバラ色とは限らんぞ。俺はもう去っていくだけだからいいが、お前たちにはどんな試練が待っているかもしれん」
そもそも立場の違う、本来敵見方で対峙したはずの2人だったが、マル水の戦略を読み合ううちに、その戦略に翻弄される同舟の意識が2人の間に芽生えていた。
元々2人の間には、組織のリーダーとして共に畏敬し合い、また1人の人間として認め合う尊崇と信頼が根底に流れている。それは、坂本の該博の高さと政策の確かさがそうさせていた。
「会長は何か聞かされていないんですか」
「そんなもの言うわけがない。誰が後任かだけだ。まあ、何かあるかどうかもわからん」
樋口は昨年の暮れも押し迫った頃、坪枝に呼び出され解任を告げられている。

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