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済んだ議論

更新 2014.05.07(作成 2014.05.07)

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第7章 新生 23.済んだ議論

それから1カ月が過ぎ、平田は、完全崩壊からかろうじて免れた。
新田の支えが最大の救いだった。
人が心を病んだとき、趣味でもスポーツでもなんでもいい、とにかく何か自分が打ち込めるものに一心不乱に没頭し、ひたすら夢中になってストレスを忘れることである。身も心もだるく何もしたくないのがこの病である。だからこそ好きなこと、夢中になれるものに没頭し、病を忘れることが一番なのだ。
そして、自分のことを理解してくれる頼りになる誰かが、温かく見守り支援してくれれば最高の滋養になる。
新田は平田を上手く活用した。まさに活用という表現がピッタリである。
「お前しかいない。やってくれ」と平田のやる気をくすぐり、平田がグズルと「やってみろよ。何とかなるさ。できなきゃその時また考えるさ」と叱咤し、上手に平田を動かした。
放置しておくと恐らくつぶれてしまったであろう平田を、活かして使った。
心身が病んでいる者にとって上司の信任や期待はこの上ない力だ。自分の理解者がいることは大きな喜びであり、支えであり、勇気となる。
平田は少しずつ元気を取り戻した。まだその表情に影を残してはいるものの、1カ月の間にその動きにはすっかり元のダイナミックさを取り戻してきた。
「人事制度改革の検討委員会の準備を始めてくれませんか。それに合わせて周りの準備を進めたいと思います」
平田は関係会社の人事課長に電話で趣旨を伝えるとともに、社長宛てに文書で発信した。
自分のマネジメントミスで関係会社のプロジェクト立ち上げが遅れたことに気をもんでいた椿は、案内文に印鑑を押しながら何とか歯車が回りだしたことにホッと胸を撫で下ろした。
平田は藤井に「関係会社の人事制度の見直しが、そろそろ動き出すのでそのつもりでいてくれ」と連絡を入れると同時に、自らの課題である「退職金、年金の見直し」の準備にも取り掛かった。
藤井にはこれにも参加してもらわなくてはならない。人事制度との整合性や退職金、年金の考え方としてのロジックを整理しなくてはならないからである。
ただ、退職金、年金の方式の変更は、年金の受託幹事会社であるF信託銀行とその向こうにいて強大な許認可権を持つ厚生省との交渉である。
F信託銀行は、中国食品のメインバンクであるF銀行の系列である。
ポイント化を含めた退職金の積み立て方式や、運用方式、年金の給付方式や予定利率の変更など、法的論拠全てのチェックや厚生省への根回しには欠かせない平田の重要なカウンターパートナーになる。
日本の金融は、大別すると銀行、証券会社、保険、信託銀行などの形態があり、旧財閥系は全てこの業態を備えている。更にその傘下には、リースや信販、投資銀行、貸金業などを展開しており、どれもそれぞれの特性を活かして日本の金融業務を担っている。
企業の資金調達の仕方も2通りある。直接金融と間接金融だ。
直接金融は、企業が出資者から直接出資契約を結び資金を調達する形態のことを言う。株式発行や債券の発行などがそうだ。中国食品が行ったスイスでの社債発行もそうだ。
間接金融は、銀行が仲介者として預金者の資金を間接的に企業などに融資する形態で、銀行はその金利差で業務収益を上げている。
その点、信託銀行は企業や年金、或いは資産家の財産を信託され管理運営することを主たる業務としている。あらかじめ取り決められたルールで資産を運用し、預かり資産の何%かの手数料収入を収益としている会社だ。
ただ、こうして集められた資金は企業や個人に貸し付けるだけでは供給をこなし切れない。余った資金は株や債券、資源、外貨、不動産など、あらゆる価値に投資され運用されている。こうした法人の投資家を総称して機関投資家と呼ばれている。

日本冷機テクニックのプロジェクトの準備は順調に整ったのだが、もう一方の中国ベンディングオペレーションのほうが一向に動かない。専務だった堀越が就任したところだ。
「課長、どうされたんですか。早くプロジェクトの準備をお願いします」
平田は再三にわたって催促した。
人事課長は原秀廣で、元は中国食品の営業部で市場開発の専門役をしていた男だ。
「ウーン、ごめん。いろいろあってね。忙しいんよ。もうちょっと待ってくれんかね」何度電話しても同じ回答が返ってくる。
どんなに忙しくても平田より遅くまで仕事をしている者など滅多にいない。忙しさもその程度なのだ。“そんなもの理由になるものか。忙しいのは皆同じだ”平田は腹立たしかった。
“これは何かある。担当事務局個人の問題なのか、あるいは組織的にムードが盛り上がらないのか”
平田は直接会社に出向いた。
「課長、何か問題があるんですか。日本冷機テクニックはもう立ち上がっています。両社が足並みを揃えてもらわないとわが社のほうにも影響が出ます。やりにくいことがあったら言ってください。問題は一緒に考えましょう」
「うん。そうではないんですがね……」
口ごもってなかなか本音が出てこない。
「社長に会ってくれんかね」
問題の根源らしきものがやっと垣間見えた。
「はい。いいですよ。今おられますか」
「うん」人事課長はそう言って奥の社長室に入っていった。
ものの1分もしないうちに戻ってきた原は、
「それじゃこちらにお願いします」と平田を誘った。
再びノックして社長室を開け、平田を案内した。
「どうした。忙しんだから簡潔に頼むよ」
ぶっきら棒にそう言って堀越社長はソファーに立ってきた。
社長と向かい合うように2人は座った。
堀越は屹っと平田を見据え、筋の通らない話なら聞かないぞとの構えを見せた。
その視線に平田は、緊張を覚えた。
「ご存知のように今退職金や年金の見直しに取り掛かっております。それには関係会社にも参加してもらわなければなりません。その大前提となりますのが関係会社の人事制度であります」
「見直せって言うんだろ。忙しくてそんなことやってる暇はないぞ」
堀越は平田が全てを話す前に遮った。
「しかし、実力主義は最早時代の趨勢ですし、わが社のグループ全体の経営方針に位置づけられております。中計にもその精神は貫かれております。どうしても進めて頂かなければなりません」
「じゃがなー。あんた関係会社の実態がどんなもんか知っとるかね」
堀越は握りこぶしを人の腹の中にねじ込むように、ねっとりとしたドスの効いた言い方をした。
平田は、これが実力役員の迫力かとゾクッとした。
「いいかね。わが社の人事には5人しかいないんだよ。たったこんだけのスタッフで何ができると言うんかね。できるわけがない」
「やるべきか、やらざるべきかの議論なら大いに議論しなきゃいけませんが、もうその議論は済んだものです。この件はやらなければいけないものです」
「誰もやらなくていいとは言っていない。できないと言っているのだ」
堀越は少し気色ばんできた。

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