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波乱の新年

更新 2013.09.25(作成 2013.09.25)

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第7章 新生 1.波乱の新年

97年正月の互礼会である。平田に久し振りの戦慄が走った。
中国食品では毎年、新年の初出勤日に9階会議室で新年の互礼会を行う。
社長が新年を迎えての喜びとその年の心構えなどを訓示する。
以前は樋口がやっていたが、会長に退いてからは大西に任せていた。
平田のみならず全員が驚いたのは、そのひな壇に見慣れない人物が1人いたからである。
マル水食品の専務取締役竹之内敏夫だった。
「本年度より、顧問としてわが社にご尽力いただくことになりました」
社長の大西があいさつの最後にそう紹介した。
平田は11年前、樋口が突然互礼会に現れたときのことを思い出した。そのとき以来の驚きである。
そのときも顧問として紹介された。ただそのときは明らかに社長就任に含みがあることが周知の上だったが、今回は果たしてどうなのか。単なるマル水の役員人事の一環なのか、それとも今回も同じように社長就任が前提なのか。全員が興味と懐疑の眼差しを竹之内に向けた。
それと言うのも、今回は事前の噂やデマが全く漏れ聞こえてこなかったからである。もし社長就任が前提ならば樋口自身の去就にも絡むことであり、恐らく一人で懐深くしまいこんだのであろう。
平田は以前、坂本委員長が現在の二頭立て経営の弊害をあげ、樋口に談判しなければならないと漏らしたのを思い出し、坂本の横顔に目を向けた。
坂本はこういう全体会議のときは必ず人事に顔を出し、平田と連れ添って会場に出向くのが習慣になっている。今日も平田の横にいる。
「今度ね、マル水の連合会に入ることにしたからね」とも、漏らしていた。連合会副議長の座も獲得している。樋口に引退の圧力としたいがためである。
それ以来この話題にはお互い避けてきた。その後坂本が本当に樋口に談判に及んだのか、それともたまたまマル水のお家事情と子会社経営のガバナンスの一環にすぎないのか、憶測と興味が大いに掻き立てられた。
坂本はすまし顔で立っていたが、平田の視線にニコっと微笑んだだけである。それだけに余計に意味深に取れた。
マル水での竹之内は、専務としての序列は2番目であるがその経歴は華々しいものがあり、海外での支社長を務めたあとは人事部長、経理部長、経営企画室長と常に経営の中枢を歩き、トップに就く要件を十分に備えていた。
それだけに今回の就任は中国食品のトップに就くためなのか、大いに関心を掻き立てられた。

人事異動は12月のクリスマスの日に発表するのが中国食品の慣例である。何時のころからそうなったのかわからないが、誰かがクリスマスプレゼントと洒落てみたのが始まりだそうな。会社が若く成長盛りのころは格下げや左遷などということもなかっただろうから洒落で済んだかもしれないが、昨今のように実力主義の時代にはプレゼントばかりで収まらないことも起きる。
新人事制度施行の最初の人事異動である。新しい処遇システムに全員を乗せるのである。昇格、昇進し、賃金も大幅にUPする人。またはその逆の人もいる。
平田のシミュレーションでは前年度評価をもとに移行し、賃金も下がらないように調整してあるのだが、そこに会社としての意思が加わる。それは制度の責任の外であり、会社としての人事権の範疇だ。
陰もあれば陽もある。個々にみれば多種多様な人生模様が展開している。
悲喜こもごもに過ごした年末年始の休みが明けると新しい体制でのスタートだ。それが今日である。
人事部内でも1つのドラマがあった。
手の筋肉が萎縮するという難病と戦っており、人事部でリハビリ中の元所長徳永浩である。
制度移行という作業だけならば彼はEコース2級(管理職クラス)の無任職(任用待機)ということになる。
しかし、会社の意思はそうではなかった。出された答えはPコース6級の専任係長だった。いわゆる格下げである。
そういうこともありうるというのが今回の制度であるが、目の当たりにそれを見るのはやはり心苦しかった。もし、元気ならばバリバリの営業所長として腕を振るっていたに違いないのだが、これも運命としかいいようがなかった。
さすがに徳永に元気はなかった。力なく机で書類に目を落としていた。
しかし、平田には会社の意図がよくわかった。徳永のこれまでの働きぶりや人間性からして会社が“辞めろ人事”で格下げしたのではなく、彼のパーソナリティを惜しんで敢えてこうしたのだ。
使い捨て人事ではいけないと常々言っていた丸山と新田の間で、
「彼をこのまま管理職扱いにしておくと、会社はいずれ彼を解雇しなければならなくなる。係長格に格下げすることで雇用継続のいいわけが会社に生まれる」
という合意がなされたのである。
つまり、会社は仕事もできない人間を雇用するという責務を負うが、本人も格下げ、賃金の減少という痛みを負う。双方痛み分けで彼は解雇という圧力をかわすことができるということである。
解雇ということは、管理本部長と人事部長がやらなければ起きないだろうと思われるが、解雇圧力は他のセクションから掛かるのである。
「俺たちはこんなに汗水流しているのに、なんであいつだけ高給をもらっているんだ。そろそろ首にしたらどうなんだ」
他の役員はきっとそう言う。
新田と丸山はそんな圧力を回避するために徳永を係長格に格下げした。
「だから、彼には係長に降格してもらっています」といういいわけが、会社は自分自身に、人事部は他部署に向けてできる。
別の見方をする人は、新田と丸山の責任逃れ、世渡り上手と言う人もいるがけしてそうではない。そんな火の粉を被っても徳永の雇用を守るための裁断なのだ。
ショックのあまり会社のその顧慮が、徳永には理解できないでいた。
降格されたという肩身の狭さに、いまにも押しつぶされそうに俯いたままである。
「徳永さん。ちょっといいですか」
平田は声を掛けた。
降格という厳しい処置をどう受け止めていいのかわからないでいる徳永には、人事部の政策運営担当としてはつらつと動く平田が輝いて見えた。
翻って闘病中のわが身が恨めしかった。
そんな徳永を気遣い、平田は腰を低くして語りかけた。
平田の問いかけに徳永は一瞬、力なく虚ろな目を恨めしげに平田に投げたがすぐに伏せた。
幸い周りには誰もいない。
「今回の人事はやはりショックですか」
「やはりね。ここまできついとは思わなかったよ。辞めれということですかね」
徳永は俯いたままボソボソと語った。
「そうじゃない。逆です。これは会社の本当の優しさなんですよ」
何を言っているのか理解できないようで、反応は薄い。
「優しい会社がこんなことするものか」という反発が聞こえそうだ。
「会社は徳永さんを邪魔にしたり首にしようとしているんじゃなくて、徳永さんの力を惜しんで残らせるために敢えて一段落としたんです」
徳永に「ウン」という微妙な反応が感じられた。
「管理職というのはやはり求められるものがきついじゃないですか。病気と闘いながらこなせるポジションじゃない。いずれ周りからいつまで雇うんじゃという圧力が掛かる。そうなると会社はいよいよ辞めれ人事をせざるを得なくなります。そうならないために敢えてこんな人事にしたんですよ」
「そうなんですか」
やっとまともな返事が返ってきた。
「これでそんな圧力を封印することができる。仕事のことはしばらく忘れて、リハビリに専念してほしいという会社の配慮なんですよ」
平田は最後は言い聞かせるように断定した。
「なるほど。そうでしたか」
「はい。それに係長職は組合員でもありますから、こういう不安定なときは組合の保護下にあったほうが何かと安心じゃありませんか。そういう配慮もあってのことなんです」
「なるほど。そういうことでしたか。よくわかりました。これでズッと気が楽になりました。もう辞めにゃいけんのかとか、首になるんじゃないかと思い悩んでいました。でもお陰で楽になりました。よく言ってくれました。ありがとう」
徳永の顔に少し明るさが甦った。
「そうですか。そんなこと考えていたんですか。それじゃ、正月の間苦しかったですね。もっと早く言ってあげれば良かったのかもしれませんが、軽々に言い出せることじゃないし、いいタイミングがなかったんですよ」
「いえいえ、話が聞けて良かったです。ヒーさん、本当にありがとう」
「私はなにもしていません。感謝の先は新田さんとか丸山さんですよ」
波乱万丈の新年が明けた。

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