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究極の決断

更新 2012.07.05(作成 2012.07.05)

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第6章 正気堂々 50. 究極の決断

中野と運命を共にする者が10名ほどいた。乗っ取りを否とする者たちか地縁血縁のしがらみを断ち切れない者たちであろう。兵隊が一人もいなくては戦もできぬ。中野は中国食品を散々罵りながら必死で口説いたにちがいないそれらを連れて会社を飛び出し、隣町にまた同じようなサービス会社を立ち上げた。7月の暑い日だった。
樋口は、中野が会社を出て行くと言ったことで多少の気分を良くし、中野に1億500万円だと啖呵を切ったもののあまりにもあこぎと誹られるのを嫌って、資産案分の1億4000万円で中野一族が持つ全株式を買い取るよう北尾に指示した。
「エッ。先日のお話では1億500万円だと記憶しておりますが」
「いいんだよ。これから新たに会社を立ち上げる手間隙を考えるとこれでも安い買い物だよ。中野の気が変わらんうちに手を打っておけ」
樋口は、日本冷機テクニック(株)の立ち上げと同時に、自動販売機による販売オペレーション専門の会社、中国ベンディングオペレーション(株)を立ち上げ、本体と合わせて3社体制の事業モデルを確立した。
平田は、この新規事業会社2社の人事態勢を整備することに半年が取られた。転籍の話が持ち上がったときから既に作業は始まっており、その間人事制度の整備はしばしお休みである。気持ちばかりが先を急ぐが優先順位がそれを許さない。
2社とも人事部はない。総務部の中に総務課と人事課があるだけで、人事、労務、教育、厚生全ての人事業務を人事課が引き受けていた。
スタッフも課長の他には男性主任と女性課員が2名いるだけである。彼らが会社が立ち上がると制度や仕組みの運用を一手に引き受けるのである。
制度や規定の整備が平田の役割である。作業は大変なボリュームだが、予見も前提も何もなく一から人事制度を構築するのとは違い、ほぼ本体の労働条件の受け皿的条件整備は難しさはなかった。
丸山は制度整備の方針を打ち合わせるため平田を連れて新田のところへ出向いた。
「転籍しやすいようにほぼ横滑りとなるように整備することだな」
新田の明快な方針に、平田はこれが会社のコンセンサスだなと肌で感じた。
「福利厚生もわが社の制度、施設は共同で使えるようにし、健保と基金も連合型に切り替える」
「はい。健保と基金には本部長のほうから指示を出していただけますか」
「うん、そうしておこう」
新田は丸山の要請に、それは俺の役割だろうと快く引き受けた。
「問題は退職金だな。俺は会社負担を軽減するためにいったん清算できないかと思うんだがどうや」
新田は平田に振ってきた。合理的な考えの新田らしい発想だが平田はあえて反対した。
「それは猛反発が来ると思います。もしそれをやるなら転籍料を出さなくてはならないでしょう。改めてその水準を意識したら退職金の倍くらい出さなければならなくなりますよ」
「しかし、勤続係数が支払い条件だよな。どうする」
「大丈夫です。転籍条件に勤続年数は継続すると謳えばいいし、人事データにそう打ち込めば大丈夫です。基金もグループ加入に切り替われば大丈夫でしょう。勤続係数はこれからが増えるところに差し掛かりますので誰もが神経質になるところです。継続するしかありません」
「しかし、入社年月日から勤続年数を算定するんだろ」
何事もきちっとしていなければ気がすまない新田にはいまいち納得感がない。
「それは勤続年数の算定を、入社年月日に連動すると考えるのが一番合理的だと思ってきたからで、退職金の算定基準は中国食品からの勤続年数を通算するという考え方を取るだけです。人事データに仮の退職金算定入社年月日を設ければ済む話です。システムは考え方を反映するものです。組合との転籍協定にもそのことをきちんと謳ってやれば彼らも安心すると思います」
「なるほどわかった。ただ勤続年数による算定方式も問題なんだよな。いずれそれも何とかせないかんな」
新田は勤続係数方式の退職金基準に深い愁いを込めてため息をついた。
就業規定や福利厚生、退職金や年金制度、資格や賃金、評価は本体の規定のカスタマイズでとりあえず繕うことができる。
労働組合も各会社ごとに設立し、中国食品労働組合が中核となって連合会を設立するようになった。組合内部のことは中国食品労働組合の委員長である坂本がプロパガンダーとなって組織化し、組合役員の選定や組合規約を作ったり、加入同意書を集めたりと実務をやった。平田はそれに伴って労働協約書を作り、両社の労使双方への根回しが仕事である。両社ともユニオンシップ制が敷かれ全員が加入した。転籍が前提である以上、そこに選択の余地はないだろう。元々、プロパー社員も中野社長の私利私欲優先の経営方針に少なからず反発心を持っていただけに全員が加入した。
両社とも基金と健保へ加入させることになった。転籍させるからには全ての制度の受け皿は要る。基金、健保両事務局がメインとなって連合型への切り替え申請手続きを進めるが、二重三重の許認可手続きは遅々として進まない。申請はまず、厚生省の出先機関である中国四国厚生局へ口頭で打診し、好感触を得たならば書類による設立趣意書や申請書を提出する。その審査が通れば東京の本局に出向き同じ手順を繰り返す。その間の説明も事務局の常務理事による説明くらいでは受け付けてもらえない。本体の、それも肩書きの付いた役員が出向かなければ相手にしてもらえなかった。権威主義の権化のようなものだ。間を取り持つF信託銀行の担当者が、次はどなたにお出まし願いますと役員を連れて何度も何度も足を運び、そんな事なかれ主義者たちの臍を曲げないように卑屈に相手し、許可をもらうのである。
そうした準備に半年を要したが事業は休むわけにいかない。市場は刻々と動いており、転籍手続きはさておいても会社は稼動させなければならない。中野社長ら一派が出て行った後の空白を埋めるため、新社長や本社スタッフ、冷機課を中心とした技術関係者が派遣され新しい態勢が作られた。その間の処遇は出向扱いとされたがプロパー社員は旧基準のままであり二重基準は拙い。
制度整備は人事関係だけではない。事業推進体制や会計整理などあらゆるものが一から洗い直された。

いよいよ制度が整備され転籍の最終確認の時期が来た。転籍時期は次年度の1月1日である。転籍には本人の同意がいる。
11月5日土曜日。本社講堂にて11時より説明会が開かれた。会社設立の趣旨や事業の見通し、処遇方針など、社長をはじめ各担当役員が担当事項について説明を行った。一通りの説明が終わったころには12時半を過ぎていた。質問タイムも設けられたが質問する者は誰もいない。彼らの心はそんなところにはないのである。
お開きとなった後も重苦しい空気に包まれた会場は誰も帰ろうとしなかった。質問ではない何かを訴えたかった。
そこには新会社の役員を除く管理職も含めた全員が残っていた。
平田は後始末のため残っていたが、会場が一種異様な雰囲気に包まれていくのを感じた。
誰がどう口火を切ったのかわからなかった。
「ヒーさん。俺たちはどうしても転籍せんといかんのかね。俺は中国食品が好きで入ったんや。日本冷機テクニックなんか行きたくないよ」
サラリーマン人生究極の悲哀はリストラだろう。しかし、新会社への転籍もそれに次ぐ究極の決断だ。海のものとも山のものともわからない新会社。売り上げも利益も何10分の1にしかすぎない。しかもその全てを親会社に頼っている。処遇だって今までどおりにはいかないだろう。身分保障だって会社が安泰だという前提の上でこそ成り立つ約束だ。その意味では自分たちではどうしようもない命運を親会社に委ねた会社なのだ。しかし、断わりきれないのがサラリーマンの誰もが背負っている運命である。そんな決断を迫られた彼らの、前途に対する不安や不満が充満していた。
経済的理由からだけではない。彼らの心理を大きく支配しているのは、中国食品の一員から追い出されたという疎外感だ。これまで対等に肩を並べ堂々と意見をぶつけ合っていた同僚にも、親会社という看板を前に無意識の内に一歩引こうとする本能が働いてしまう。
これまで彼らは冷機技術課へ忠誠を尽くすことで独自の村社会を形成し、業務命令の流れや異動転勤などで便宜を享受してきた。その特権構造に係長・主任制度で風穴を開けられ、今その課長諸ともガッチリ組んだスクラムがそっくり別会社へ堰を切って流れていったのだ。彼らは忠誠の矛先の向けようがなくなった。その空漠感が苛立ちを誘う。
この半年間、転籍の噂の中でマグマのように堆積していた鬱憤は、実務者である平田くらいにしか向けようがなかった。事実彼は、係長・主任制度の改定のときも村社会の存在を如実に炙り出し、特権構造に真正面から異を唱えてきた張本人だ。今回もまた会社の片棒を担いでいる。もし平田が、スポットを当てることをしなかったら俺たちの存在は組織の影のまま居続けることができたかもしれないのだ。

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