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登山準備

更新 2016.06.03(作成 2012.05.07)

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第6章 正気堂々 44. 登山準備

平田たちの活動は『新人事制度の基本コンセプト』を練り上げるところに、やっとたどり着いた。種々の環境分析を経て次なる制度はこうあらねばならぬという、いわば制度を作るための憲法のようなものだ。このコンセプトに沿って制度を作ることになる。しかしそれは、人事制度だけでなく人事部全体の運営指針のようなものになっていく。なぜなら、種々の問題や課題があり、それを解決し会社を強くしていくために練り上げた根本的思想だからである。人事部全体の規範となっていくのは必然であり、それほど大事なものだ。それだけに安易な設定は許されない。

  【新人事制度の基本コンセプト】
   ○能動的活動・主体的精神
   ○多様化の容認
   ○コミュニケーションの促進
   ○経営理念、目標の共有

このコンセプトの意味と背景を解説すると、次のようなことになる。
「社員は受身体質ではなく主体的に行動しよう」
「難局を乗り越えるためには、ユニークな発想や多様なアイディアが必用で、いろいろな考え方や価値観を受け入れる」
「上下横のコミュニケーションやマネジメントが個人の素養に拠っており、組織としてのコミュニケーションが図れるメンジメントシステムが必要だ」
「多様な考え方や価値観の持ち主を経営理念で糾合し、マネジメントシステムを通じて一つの目標に向かって統合する」
人事制度を作るにあたってのポリシーであり、このようなことが実現する人事制度を作らなければならない。分析の結果から生まれたものだ。
「これをベースに人事制度の骨格を作っていきます」
「しかし、これだけじゃなんだかぼんやりしていますね」
「はい。これは制度設計にあたって外してはならない基本的精神の部分ですから、具体的制度に直接結びつくものではありません。ただこの精神をしっかり押さえておきませんと後でぶれたり方向性を見失ったりします」
それは平田にもはっきりと認識できている。これまで血反吐を吐くような作業を何度も繰り返しやってきて否が応にも考えざるを得なかった。
「これから先は事務局、といってもほぼ私と平田さんの2人で議論していくことになると思います。これから先はあくまでも仮置きではありますが、ある意味制度全体のデッサンを決め打ちしていくことになります」
「なるほど。そうですか」
「ここまでは登山でいう事前準備のようなもので、どの山を目指し、どのルートを通ってどのくらいの日程で、どんな危険があってどんな装備が必要かなどの登山計画を練る段階でした。いよいよここから第1歩を踏み出します。まずはベースキャンプ構築を目指しましょう」
「それじゃ、どこの山かもう決まっているんですか」
「私にはおおよその見当はつきます。しかし、決めるのは平田さんです。これからそれらを決めながら制度の完成を目指します。これまでの作業から描き出されたあるべき制度論と、平田さんが描いている制度イメージとのせめぎ合いです。どちらの制度に一方の制度をどれだけ取り入れられるか。またその逆か。そして最後はコンセプトに照らして平田さんの決断一つです。だから2人で議論することになるのです」
「なるほど……」
平田はわかりやすい藤井の説明ですぐに得心がいき、大きくうなずいた。
藤井はこの段階でも人事について平田からテイクするものと、制度整備に自分がギヴするものと半々だと思っている。しかし、それは自分自身の問題でビジネスはビジネスだ。
すでに年も改まり94年の4月になっていた。
「それで、言いにくいのですがここから先は有償でお願いできませんか。と言いますのはここから先は具体的制度構築に入ります。登山ではガイド料が掛かるところです。もちろんここまででも他社さんで人事単独コンサルなら有償になるところでして、御社の場合は中計とか広く関わってきましたからそのフォローのように考えて無償で来ました。一区切りつきましたのでここからは通常取引でお願いします。これがわが社の料金体系です」
藤井はそう言って料金表を出した。それはコーディネート1回(1日)につきいくらというもので、他社の料金体系が着手料何百万、完成時うん千万円というものに比べると格段に良心的なものだった。手付金や着手料といったまとまった支払いがないからいざというとき、引き返すのにためらいがいらない。藤井にしてみるとそんなリスクを越えた自信がある料金体系だし、顧客の立場に立って考えるとそうなったのだろう。
2枚目にはこれからの大まかな工程表が添付してあり、最後のページには項目ごとのおおよその必要工数とそれに基づく必要経費が見積もられていた。
「今後、テーマやコーナーによっては他の講師と一緒に活動することがあるかもしれませんが、そのときでも1回は1回です」
「わかりました。これまでありがとうございました。私も、いつまでも無償では気の毒に思っていたところです。いつでもお支払いが出来るよう予算取りはしてあります。これは私たちの力も考慮してこの日程で大丈夫かとか検討させてもらって稟議します。もし修正があればそれも考慮に入れて相談させてください」
「はい。よろしくお願いします」
本契約がスタートすれば平田にはますます重圧が掛かってくる。いよいよ後には引けない状況になった。

平田が稟議書を起案すると丸山が平田を呼び寄せた。すでに起案部署欄に丸山の印鑑が押されているのが目に入った。
「どうや、見通しは立ったのか」と稟議書を平田のほうに押し出しながら尋ねてきた。
「そうですね。見通しというわけではありませんが、何がなんでもやらんといかんと思っています」
返された稟議書を両手で押し頂くように受け取り、深く頭を下げた。
「あんまり一人で抱え込むなよ。苦しいときはいつでも言ってくればいい」
「はい。ありがとうございます」
「それでだな。助手をつけようと思う。といっても完全な部下というわけにはいかんが、協働者とでもいうか相談相手とでもいうか、お前と丁々発止でやり取りできれば少しは楽に進むかなと思うがどうか」
「はい。ありがとうございます。ここはどうかなとか、ちょっとしたヒントや意見が欲しいときはしょっちゅうあります。そんなとき、相棒がいれば楽だろうなと思うときはあります」
「うん、そうしよう」
そう言って丸山は人材開発課の花本を呼び寄せた。35才の主任だ。
「あのな。お前も忙しいかもしれんが平田の制度構築を少し手伝ってやってくれんかな」
「はい、わかりました。人事制度の考え方は人材開発にも大いに関わってきますので、私もそうしたいと思っていたところです。どのようにしたらいいですか」と承知しながら平田のほうを振り向いた。
「うん。作業は俺がするから一緒に考えたり相談に乗ってくれたら助かる。手が空いたときに何かあるかって一声かけてくれ」
丸山は以前より平田の苦しみを察しており、契約を機に部内の推進体制を強化したのだ。当然抵抗勢力も出てくる。一枚より二枚岩のほうが強いに決まっている。
人材開発課の仕事は、どんな研修をするか、その内容を吟味して講師を選び、対象者とスケジュールを決定し案内するだけだ。以前のように研修の場所を手配することもなくなった。言わばほぼ年間スケジュールが固定し、ほとんどイレギュラーしなくなった。そのため自分の時間をつくりやすかった。丸山はそんな仕事の自由度を図りながら、平田のパートナーとして花本を選んだ。人材開発課という業務の中で、各種分析やコミュニケーション技法を身に付けている花本は、スキル的にも適任だった。平田は丸山の配慮がありがたかった。

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