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研修センター

更新 2012.01.25(作成 2012.01.25)

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第6章 正気堂々 34. 研修センター

平田にとっては、松崎が役員に選ばれたことは納得のいかない不条理だった。平田が人事部に配属になった直後に「俺は偉いんだからお前たちにはあいさつもしない」と“言葉ありき”を黙殺された相手だ。それ以来、どうしても信頼する気になれないでいた。社員の信頼を得られない人が経営に選ばれるのか。経営を担うほどの才覚があるとも思えないし営業センスも昔ながらのドロ臭い営業スタイルのままだからである。
しかし、平田のそんな思いとは裏腹に樋口には樋口の狙いがあった。
改革だ、立て直しだと社内の空気が忙しなく浮き足立っている状況を見て、昔風の臭いがする松崎をあえて登用した。これまでの起用が四天皇と呼ばれる改革派に偏ったためのその副作用か、なにやら喧騒な空気ばかりが充満している社内に安心感と落ち着きを取り戻したかったのだ。
樋口の狙いは当たった。それまでなにかと口を尖らせていた古参管理職たちが、「俺たちにもまだ希望が残っている」と思い込みはじめたのである。そうすればまた業務に集中する。そして社内は落ち着きを取り戻した。
トップの一つの強い思いだが、こんな形のメッセージもあった。社員個々の心情だけでなく、組織全体の心情があることも樋口は教えた。

そんな株主総会を無事終えた1993年4月、かねてからの念願だった社員研修センターがついに完成した。
延べ床面積1460平方メートルの鉄筋コンクリート造り3階建てで、外壁は打放しコンクリート生地にフッ素加工の高耐候性保護クリヤー仕上げで、透明感のある洒落た仕上げになっている。今人気の外装らしく、中性化を防ぎ、塩害、汚染、濡色の防止機能を持っている。
玄関の車止めは大型バスがすっぽり収まる庇が伸びて、外見は街中にあるチョットしたインテリジェントビルのようである。建物と駐車場をグルリと包むように敷地全体を日本庭園ふうの庭が取り囲んでいる。その奥には中国山地の山々がちょうど借景として馴染んでいる。
玄関を入ると3階までの吹き抜けが広々とした開放感を醸し出し、その奥は談笑できるラウンジにソファーやテレビが緑の樹木の鉢植えと共に設えてあり、こじんまりとはしているがちょっとしたホテルのロビーのようだ。その左隣は図書や囲碁、将棋盤が置かれた視聴覚室となっており、右隣はダイニングルームで4人掛けのガラステーブルと籐イスのセット18組がゆったりと配置してある。その奥の厨房とはカウンターで仕切られ、委託した専門業者から派遣された料理人が毎日料理を作ってくれる。
広々とした男女2つの浴室は温泉の掛け流しで、研修中はいつでも入浴できるようになっていた。
玄関の受付カウンターの奥は、住み込み管理人用の居住スペースもある。
2階は研修スペースだ。大研修室は最大60人が一度に研修でき、教壇には無線マイクやビデオや教材が映し出される巨大プロジェクター装置があり、BGMも流せる。小会議室が2つ。他にトレーニング室とパソコン教室があり、それぞれ十分な機器が備えてある。
3階は宿泊室だ。12部屋ある8畳の和室は研修生や一般宿泊客用で、1間の床の間と着替え用のロッカーがあり浴衣やタオルなどが入っている。押入れには5人分のフトンと洗い曝しのシーツが常に用意されている。窓際の半間ほどの板の間には小さな洗面台とタオル掛け、それにソファーなどが置いてあり、和室とは障子で仕切られている。部屋の隅にはテレビも置いてありちょっとした旅館なみである。
他に講師用の特別室が2部屋。赤い絨毯が敷かれた部屋にはツインのベットにスタンドランプ、テーブルセットやクローゼット、シャワールームに洗面台が置かれシティホテルなみの調度だ。
1階ラウンジと吹き抜けの壁には、畳2、3枚分はありそうな大きな絵画が掛けてある。なにやら有名な画家らしく1千万円前後するそうだ。どうやら樋口はこの画家の贔屓らしい。
「どのような絵でなくちゃいかんということはない。どうせお前たちは絵の造詣などないだろうから俺の好みで選ばせてもらった。これくらいのわがままは許してもらいたい」
後日、絵を見に来た樋口はスタッフにそう漏らした。
「この絵を見て社員が少しでも何か心の糧にしてくれたらそれでいい。詰め込むだけの機能重視のセンターにしてはならない。ここに来たら気持ちが落ち着き、豊かな人間形成の場になるような器にしなさい」
そんな樋口の指示で全ての調度にいいものが使ってあり、内装も優しい仕上がりである。コストがかさむと言う意見には、「何10億も増えるわけではなかろう。プラスアルファー分くらいは受けた人間が仕事で返してくれる。そんな効果のある教育を目指すのだ」
そんなポリシーで研修センターは建設された。
食事についても樋口は注文を出した。
人事部の最初の案では街中にある一杯メシ屋ふうに、パート従業員にまかないをしてもらうようになっていたのだが、「そんなものではダメだ。研修に行くのが楽しみだというくらいの食事にしなさい。そうしないと研修に来たがらない」と注文をつけた。
結局全国でホテルやレストランの厨房を一手に引き受け、独自のレストランも運営しているSクラブに委託することになった。お陰でちょっとした旅館なみの食事が出るようになり、社員たちは大いに喜んだ。
このように樋口の研修センター作りは、あくまでも社員の成長を真に願う姿勢から生まれた。

平成5年4月25日、内外から大勢の来賓を招き完成レセプションが大々的に行われた。
主な社員たちは受付や案内、駐車場の整理やパーティーの世話と借り出されたがどの顔も誇らしく輝いていた。自分たちのための研修センターである。それも広島きっての充実したものに誇りを感じた。
「研修所はスパルタの場ではない。人間形成の場だ。いい環境を与えなければ研修も身に付くまい。そんないいものにしなさい」
樋口の社員への一つの思いであるが、それが見事な形で結実した。
ここに来ると社員の誰もが穏やかな顔になった。日々の仕事に荒ぶれた気持ちも浄化されて帰っていった。
特筆すべきは、中国食品の社員誰もがこの施設をとても大事にするということである。調度品を乱雑に扱ったり、ビンや缶はもちろんごみを散らかす者もおらず、自分たちの宝物のように大切に扱った。世の中に品格のある人と粗雑な人があるとすれば、ここに来る社員は上品な気分に浸って帰る。会社が社員を大事に思えば社員も見事に応える事例である。
研修のない週末は、社員及びその紹介者は誰でも2500円で宿泊ができるようになっている。近くの山や川に遊びに出掛け、帰りに泊まっていく予約でいっぱいである。わざわざ食事と温泉だけを目当ての宿泊者もいる。
スケジュールが空けば他企業の研修にも貸し出された。
世に研修施設を持った企業は数多あるだろう。しかしこれほど思いのこもった施設はそれほど多くないのではなかろうか。もちろんないよりあるにこしたことはない。研修もやらないよりやったほうがいいに決まっている。しかし入れ物があり、教材があり、設備があるだけの機能追及の施設から生み出される人材はサイボーグのような強いだけの人材になってしまう。心豊かな大らかな人材は、やはりそのような環境と愛情のこもった教育によって生まれる。特別豪華ではないが、思いの滲んだ研修センターだ。

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