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3つの課題

更新 2011.08.15(作成 2011.08.15)

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第6章 正気堂々 18. 3つの課題

対談に際し、樋口に勝算は全くなかった。債権を放棄せよという要求そのものが全くの破れかぶれであり、体当たりの交渉だ。
「バブルが崩壊して、金融界も大変なようで……」
頭取は黙ってうなずいた。
「今後、日本の金融の建て直しとしては、どのようになっていくのですかね」樋口は一般論として問いかけた。
「政府としては金融業はつぶさないという方針を出しております。金利を目一杯下げ、日銀の当座預金には十分流動性を確保し、いつでも非常時に出動できるようになっております。その間に金融界は落とせるものは引き落とし、劣化した債権の引当金を積み上げていきます。決算は苦しくなるのですが、どこまでやれるか体力勝負です。そこを凌いで、自己資本の充実を図ります」

銀行は、取引先の経営や財務の状況によって、正常先、要注意先(要管理先)、破綻懸念先、実質破綻先、破綻先などに分類し、そこへの融資債権を、要管理債券、危険債権、破産更生等債権などに分類して管理し、状況に応じた対応をとっている。これは資産のリスク算定に重要な手続きなのだ。
BIS規制をクリアするためには、資産リスク(債権や融資のリスク量)を減らし、自己資本の充実(増資や利益の積み増し)が必要だが、不良資産の償却には、貸倒引当金を積むか直接消却(貸借対照表からの消却)しかない。その引き落としの過程では会計上利益を圧迫することになり、その結果、赤字になれば資本を食いつぶす。増資をすれば資本コストが膨らみ、収益力とのバランスを崩し結果的に経営を重くする。銀行は厳しい経営状況に追い込まれていた。そのため、自己防衛上、貸し渋りや貸付金の猛烈な回収が行われた。
景気後退を防ぎ、融資を活発化し、銀行の体質を強化するには、銀行の資本増強しかない。その手法として国は、その時々に応じた法的整備をしながら公的資金の注入を行うのである。

この時点で新井は破綻先であり、その保証を引き継いだ伊勢は要注意先(要管理先)に分類されていた。
もし、中国食品が業績不振で給与や賞与の支払いが低水準で、伊勢の返済が苦しくなれば、その次の破綻懸念先や実質破綻先に認定されたかもしれない。
「なるほど。銀行さんには国の後ろ盾があるわけですか」
「いや、国家の産業の動脈を止めるわけにいかないからですよ。銀行がつぶれたら影響が大きすぎる。巻き添えを食った取引企業の連鎖倒産という最悪の事態も起こりえます。それは樋口さんもおわかりでしょう」
「もちろん。ちょっと羨ましいと思っただけですよ」
ただ樋口は羨ましいと思うより、護送船団方式に守られた銀行の甘え体質を詰る気持ちのほうが強かった。
「ところで、破綻した債権や引当金を手当した債権はどう処理されるのですか」
「無論最後まで回収に努力しますが、抵当で補い切れない部分は引当金とともに簿価から引き落とします。ただ日ごろから精査して厳密にやっておりませんと、昨今のように一時期に大量に発生いたしますと自己資本の不足や債務超過にもなりかねません。今は債権の査定が銀行の命の綱です」
「抵当もなにもない債権もあるんでしょう」
「もちろんそういうものもあります。貸金業なんてものはそんなリスクは覚悟しておきませんとやってられません」
「なるほど、そういう肝がないとできないというわけですか」
樋口は大げさに感嘆してみせ、一息入れた。
「実は本日伺いましたのは、先日××さんにお願いしておりましたわが社の新井の残り債務の件であります」
H銀行頭取は、「そうでしょう。それが大事でしょう」と言うふうに大きくうなずいてみせた。
「その債務が500万円残っておりまして、これをその引き落とし債権の中に潜り込ませてもらえませんやろか。なに、それがいかに難しいことか十分承知の上で無理をお願いしております」
H銀行頭取は大きくうなずきながら、
「ええ、××から伺っております。ただ……」頭取は言葉を区切った。
「難しい問題ではあります。こういうときのために保証人になってもらったわけですし、わが行の中では要管理先として扱っておりますが、このまま放っておくときちんと弁済されていきます。それをみすみす破綻先として処理するのはかなり無理があります。わが社の状態そのものが“要管理先”の状況なのですから」
「ごもっともです。難しいことはよく承知しております。しかし、一時期は同じ宴を楽しまれたわけですし、その後始末も片や国の後ろ盾が付くが個人は放置されたままというのはあまりにも方手落ちのように思えてなりません。理不尽とはお思いになりませんか」
「我々の営業姿勢を咎めに来られたのですか」
H銀行頭取は、ムッとした口調で言い返した。
「とんでもありません。ただ、経営の一角を担っていた新井の不始末を社員に押し付けたままでは、これから先社長として社員に語るべき言葉がないのであります。頭取にもご理解いただけると思うのですが、私にも企業の長としてなにか成したいと思うところがあります。そのためには、なんとしてもこの問題に一定のケジメをつけなければならないのであります」
樋口はそう言いながらH銀行頭取を真正面から凝視した。
「なるほど、そういうことですか。それはわかるような気がいたします。だからと言って、この問題をすんなりと引き落とせというのはそれこそ理不尽極まりない話でありましょう」
「ごもっとも。だからこうしてお願いに上がっております。何とか、どこかの不良債権にもぐり込ませられませんか」
そばにいた営業役員は、ハラハラしながら2人の顔を見比べていた。このまま2人が言い張ったら険悪なムードになりかねない。
頭取はしばらく腕組みをしながら樋口の顔を見つめた。
樋口もここは引けない。強い視線で押し返した。重苦しい沈黙が流れた。
しかし、頭取の中ではある種の結論が出ていた。それがあるからこその会談である。それにはある一定の条件をクリアしたかった。
H銀行頭取は、コーヒーを一口啜ると胸の内にある樋口から引き出したい幾つかの質問を投げかけた。
「私の中に、クリアしたい課題が3つあります」
H銀行頭取は、十分間合いを取って樋口の反応を確認した。
樋口も承知と大きくうなずいて返した。
「1つはなぜ、それほどまでにこの件に社長自らが乗り出して関与されるのかということと、これくらいのものは御社でなんとか収められなかったのかということ。それに、いやらしい話ではありますが一応ビジネスの社会に身を置いております関係上、その見返りではありませんがこれを解決した暁にはわが社になにかメリットがありますか、ということであります」
樋口は「ごもっとも」と言わんばかりに大きくうなずいて、頭取の要求に応えた。

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