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至高の味

更新 2016.05.27(作成 2011.06.24)

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第6章 正気堂々 13. 至高の味

「本当かね。ついにやったか」平田は感激に体中が震えた。
「委員長ありがとう。なかなか話が進まんからどうなっとるんかと思ったよ。嬉しいね。ついに悲願達成やねー。ありがとう。ありがとう」平田は感激のあまり自然と両拳に力が入り、2度3度と打ち振るった。
平田には、もう1人伝えなければならない人がいた。昨年退職し、四国で有機野菜の栽培に乗り出した河原だ。恨み辛みの怨念で会社の人間関係を繋ぐわけにはいかないが、河原とだけはそれが許される。2人とも浮田に同じ境遇を託ってきたからだ。浮田が首になるときは2人で乾杯しましょうと誓って送った人だ。
平田は、顛末を認め、「来年の総会まで2人で楽しみましょう」と広島の加茂泉の酒と一緒に送った。
首を長くして待っているはずだ。それとも、自らの夢の実現に夢中で、もう関心は薄らいだだろうか。忘れられるなら、それはそれで河原が充実した日々を送っている証しであり、どっちにしてもいいと思って便りした。
河原からも、喜びの便りが返ってきた。事業は順調に進んでいるが心に刻まれた傷はこんなことでしか癒されないと結んであった。
お返しに送られてきた野菜は、河原の愛情が注がれているのがよくわかる至高の味がした。

「ところで委員長、もう一つ相談があるんやが」
2軒目の店に行ってすぐのことだ。これ以上酔いが回る前に平田は、今までしまっていたもう一つの懸案事項を切り出した。
「まーだ何かあるん」坂本はうんざりしたように聞き返した。
「うん。実は……」
浮田らの件が解決したばかりで、平田も言いにくそうに間を空けた。
「伊勢さんの債務がまだ500万円残っとるんよ」
「それは新井さんの退職金で穴埋めされたんやないんかね」
「少し足りなかったらしい。他の者は清算してもらったらしいんやが管理職ということで最後になって、足りなかったらしい」
「なるほどね。まだ完全に清算されとらんちゅうわけですか。何をしよるんかね。それくらいなんとかならんかったんかね」
「なにもかも掻き集めてそれが限界だったんやろ」
「情けないネー。それくらいなんとかすりゃーいいのに」
「うん、そうなんやけど、ない袖は振れんのやろ。なんかいい知恵はないかね」
「しかし、それは半分は自業自得のところもあるからねー。上司に阿るところが全くなかったとは言い切れまい」
「しかし、上司が強権で債務を負わせたのは間違いないよ。気の弱い者はそう簡単に断われんよ。それに本人は勝手に辞めちゃって『はい、それまでよ』でしょ。それこそ自業自得で罪も罰も被るのは当たり前だけど、なんのいわれもない債務だけを残された社員はかなわんよ。この始末はやっぱり会社がせにゃいかんやろ」
「しかし、銀行の債務やろ。どうしょうもないんとちがうかね」
「いや。絶対なんか裏の道があるはずよ。これだけ不良債権の償却に躍起になっとるんやろ。なんかあるはずよ」
「どうするん。俺には銀行のことはわからんよ」
「そりゃ、俺もわからんけど、樋口さんを揺さぶって、なんとか債務をチャラにする方法はないやろか」
「また、俺が言うんかね」坂本は気乗りのしないそぶりで、
「ヒーさんから川岸さんに言うてみんさい。それでどうにもならんかったら、そんとき考えるわ」と、平田に投げ返した。
「うーん。俺が言うてもいいけど、委員長が言うてくれんかね。そのほうがいいって。そのほうが絶対効果があるって」
「また、俺ですか」坂本は辟易した様子でそう言いながらも、熱心な平田の懇請に負けるように渋々引き受けた。
説得に成功した平田は、ニコニコしながら「今日の酒代のうちだから」と坂本の渋顔を茶化してみせた。

坂本は翌日、早速川岸に対談を申し入れた。こんな面倒な仕事は早く片付けてスッキリしたかった。
坂本は、「2人きりで話したいんですが」と川岸を9階の小会議室に誘い、30分ほど話し込んで帰っていった。
川岸は坂本が帰ったあと、平田と高瀬を同じ会議室に来るように呼んだ。
川岸はロの字型に並んだテーブルの奥に座っており、2人は反対側のテーブルに並んだ。
「お前たちもなにか聞いているのか」
この段階では高瀬も川岸も噂として知っているが、それ以上の何かを聞き出そうと尋ねているのだ。
不思議なことにこんなときの高瀬はやけに冷淡だ。あるときは必死の形相で庇ったり救おうとしたりするのに、自分に近くない事象には極端に冷徹になる。情の人間というのは自分に訴えてこなければ動かないのかもしれない。いや、むしろ敵愾心すら露にすることがある。
「それは新井常務と伊勢さんの個人的問題でしょう。部長が動くことじゃないと思いますよ」
川岸はただ尋ねただけで、まだ何とも話していないのに高瀬は真っ向から反対した。
平田は不思議な感じがした。“この人は二重人格かもしれない”と、限りない不信感を抱いた。
「ヒーさんはどう思うかね」川岸は平田の意見を求めた。
平田は坂本をけしかけた手前もあり、自分の考えをはっきりと述べなければならない。
「確かに個人同士の問題ではありますが、現実に会社の中で行われたことですし、上司と部下という関係を利用して強要された節があります。しかも常務取締役という立場は、どう考えても会社に責任がないとは言い切れません。監督責任ということもあります」
そこまで言ったとき高瀬が声を高くして真っ向から反対してきた。
「そんなことを言ったら、会社の中の個人的問題は全て会社に責任があることになるよ。大人同士の問題に会社が首を突っ込むことはないよ」
平田は、高瀬が何をそんなに興奮してるのかわからなかったが、反論する気にもならずうんざりした気分で黙っていた。
「いや。よくわかった。ちょっとお前たちの考えを聞いてみたかっただけだ」川岸はそれで解散した。

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