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生兵法は怪我の元

更新 2016.05.26(作成 2010.11.15)

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第5章 苦闘 63. 生兵法は怪我の元

「どうかな。まだ株は上がりますかな」
中国食品の4階常務室で新井は地場最大手のH銀行の融資担当に尋ねた。
中国食品のメインバンクは、中国食品株式の12%を持ちメガバンクの一角であるF銀行で、親会社であるマル水食品からの資本系列の流れで創業時に株式を持ってもらっているのだが、給与振込みの幹事行など日常の細々とした取引は主にH銀行にやってもらっている。
「まだ上がるでしょう。今は皆さん買い進めておられます」
「この際、一勝負してみようと思うんだが少し融資してくれんかね」
「今はチャンスですよ。むしろ持たざるリスクのほうが大きいです。逆にいくら必要ですか。常務さんでしたら要るだけご融資いたします」
経理担当の立場も後押しとなり、資金のダブついている銀行は積極的に貸し込んだ。
「そうだな。まずは5百万位いいかな」新井は担当者の顔を伺いながら照れくさそうに切り出した。
「そんな中途半端なこと言わずに1千万円いきましょう。要らなきゃ予備で手元に置いておられたらいいじゃないです。ただ、形式的ではありますが保証人を立てていただけますか」
「そんなもの要るのかね」
「なに、形式だけですよ。どなたでも結構です。ご家族でも会社の方でもどなたかお1人お願いします。常務さんでしたら間違いありませんから行内審査はOKです」
新井は「行内審査はOK」の言葉に自分の信用の大きさに自信を持ち、「形式的」という言葉でその気にさせられた。
数日後、銀行融資担当者は必要書類一式を周到に用意して新井のところに訪れた。
新井は数日前から課長の野木に保証人を頼んでいたのだがなかなか色よい返事がもらえないでいた。今日もまた最後の頼みに野木を呼んだ。
「野木君。悪いけどさ、保証人頼むよ。形だけだからさ」
「勘弁してくださいよ。私には他人(ひと)の保証人になるほどの力はありませんよ」野木は底知れぬ恐怖心が沸いてきた。
「君と僕の仲じゃないか。君には迷惑はかけないよ」上から覆い被せるような言い方である。
「しかし、そんなことしたら家庭が壊れます。ローンも残っておりますし、子供も一番金が要るころなんです」野木は必死で断わった。
「大丈夫だよ。株券を担保にするから形だけなんだよ。すぐに精算するからさ」新井は、たたみかけてきた。
しかし、野木は「勘弁してください。スミマセン」を連称してその場を逃げるように部屋を出た。
新井は、「何だよ。意気地がないな」と捨て台詞を吐きながら野木を罵った。H銀行の融資担当の前で恥をかかされた格好になり、虚勢を張らざるをえなかった。
仕方なく新井は、次に若い課長の伊勢俊介を呼んだ。伊勢は最近課長になったばかりで関係会社の経理全般の面倒を見ていた。
新井は、「俺が課長にしてやった」という恩着せがましい思いあがりから、伊勢なら断われまいと強気に頼んだ。
伊勢も気は進まなかったが課長にしてもらったばかりという負い目と、銀行の融資担当の手前ということもあって断りづらかった。新井の強い要請に押し切られる形で、気乗りのしないまま渋々印鑑を押してしまった。それは1千万円のローン契約書の保証人欄だった。
「早めに清算してくださいね」
切なく懇願する伊勢の言葉が弱々しく響く中、玩具を手にした幼児のごとく嬉々と浮かれる新井の顔が対照的だった。

1千万円の資金を手にした新井は、それでも最初のうちは恐る恐る用心深く投資していたのだが、バブルの勢いに背中を押され小さく成功するたびに証券会社の営業が進めるまま、数銘柄に分散投資の形で取引を拡大していった。少し稼いでは売り逃げるという手法を何回か繰り返した。1千万円の資金も分散すれば1銘柄あたりわずかしか買えない。ついに、自己資金と融資を受けた1千万円を保証金に、日証金から更に3倍の融資を受けて株を買う信用取引に手を出した。
3倍まで拡大させた取引はそれでも1、2カ月も辛抱すれば1取引あたり100万円前後の利益をもたらした。
“こんなにうまくいくのなら、資金を増やせばもっと儲かるではないか”
浮かれ気分の新井は、翌年には他の部下2名にもそれぞれ1千万円ずつの保証人を立てさらに取引を拡大した。
自己資金と融資金を合わせた新井の総資金は4千万円にまで積み上がった。それを保証金に目一杯レバレッジを利かせた取引は、現物株も合わせると投資総額がざっと1億3千万円を超えていた。
株価が順調に上昇しているときは、新井も機嫌が良かった。同じ単身赴任中の営業の河村にも、
「河村さん、どうせなら信用ですよ。ドーンと儲けましょうよ」としきりに勧めた。
「いやいや。そんな危ない橋は渡れませんよ。私はあなたほど相場に詳しくないし、ぼちぼち行きますよ」と、河村はやんわりと断わりあくまでも現物取引に留めた。それだけ用心深いのか、小心者なのか、賢いのか、河村は石橋を叩いた。
行き過ぎた振り子が振り戻されるとき、素人が悲鳴を上げるときである。株という物はいつまでも直線的に動くことはない。どこかでチャレ(株価のもみ合い状態)を作り、早過ぎたり行き過ぎたりの反動を織り込むように、ジグザグ運動を繰り返しながらファンダメンタルズを織り込んでいくのだが、絞り込んだ弓が解き放たれるようにトレンドの転換が起きたとき、株価はつるべ落としに崩落していく。
信用取引は6カ月で精算しなければならない。新井もそこで手を引けばまだ救われたものを、右肩上がりの神話から覚醒しない新井は下げ過ぎの反動を“株価が戻り始めた”と思い込み、負けを取り戻すチャンスと更に買い向かって傷口を広げてしまった。
90年に半分近くまで下げた株価はその反動で91年に一旦26,000円まで戻した。それを新井は再び株価が上昇し始めたと思い込み再度飛び乗ってしまったのだ。
ところがそれは下げすぎた株価の綾戻しで、再び下げ始めた。
新井は仕事どころではなくなった。
「おい、なんとかしろ。いつまで下げるんだ」受話器に向かって新井の悲痛な声が響いた。
「わかりません。もうすぐ止まると思うのですが。もう少しの辛抱です」
受話器の向こうでも証券マンが祈るように叫んでいる。
「そうは言うがもう限界だぜ。追証が発生してるじゃないか」
新井は、証券会社の情報端末と直接つながっている株価表示端末を朝から晩まで食い入るように睨みながら、地獄の底をのぞき続けた。
余談だが、このころはまだパソコンのインターネットでいつでも株価ボードが見れるほどインフラは進んでいない。あるのは電話回線でつながった株価表示端末である。銘柄コードを入力すると現在値や最高値、最安値、取引数などが小さな液晶盤に表示された。
株価は26,489円まで戻したがそれをピークに2番底を試すようにジリジリと下げ始め、ついに92年には14,763円まで下げてしまった。
新井は、株価を恨めしそうに眺めながら自分の愚かさに落胆するしかなかった。それでもまだ「いつか戻る」ことをどこかで信じ続けていた。
1億3千万円が半分になるということは単純に6千5百万円以上の損失が発生したということである。資金は4千万円あったから都合2千5百万円のショートである。その上、銀行には3千万円の負債が丸々残ったままである。元々自己資金は1千万円しなかったところへいきなり6千5百万円の負債が覆い被さってきたのだ。5千5百万円が焦げ付いた。
“自己破産”そんな言葉が脳裏をかすめた。
生兵法は怪我の元である。

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