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叩き上げ

更新 2016.05.26(作成 2010.10.05)

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第5章 苦闘 59. 叩き上げ

平田は、制度導入に反対のどこかの所長が、高瀬があまり制度に詳しくないことに付け入り重箱の隅をつつくような制度の齟齬を観念論的にあげつらったと察しがついた。
「それはこの前お渡ししてますし、このことは制度の検証のためだと言ったじゃないですか。そんなことをつぶしていって調整して完成でしょう。今はまだ私自身の問題だと捉えています。それが済んで報告だと思っているんですがね」
無論、この程度の進捗具合はとっくに報告してある。それを細部まで読み込んでいないから、横からの揺さぶりに耐えられないだけのことなのだ。
「途中報告があってもいいやろ」
報告の中身に温度差があった。「してるつもり」と「聞いていない」の押し問答は決着がつかない。
「この前お渡しした書類を出してみてください。そのときザッと説明したつもりですが」
「あんたはそのつもりでも詳しく聞いちょらんよ」
「進捗報告ですからね。そこまではしないでしょう」
「所長たちにはしたじゃないか」
「彼らは中身を検証してもらわにゃならんからですよ。目的が違うやないですか」平田は段々腹が立ってきた。
「ザッとこの辺まで出来ています」と、「この内容でいいでしょうか」の問いかけの温度差が高瀬には理解できない。
「今までだって必要なときには節目節目でしてきたやないですか。今回のことだって所長に見てもらってきますと言っております。どうしても知りたいんなら先に説明してくれって要求してくれたらいいことでしょう。誰が何を言ったか知りませんが、今になって怒ることないのと違いますか」
図星だったのか、平田のこの一言で高瀬はモゴモゴと何か口ごもっているが尻すぼみに平田には聞こえなくなった。
こうした陰の撹乱者はどこにもいるものだ。人の迷惑や他部署の調和をかき乱して喜ぶ愉快犯である。それは相手の性格や行動を読み、どう言ったら効果的に相手にダメージを与えられるかを緻密に計算し、悪魔の囁きのように行われる。恐らく高瀬の情念に訴えるように媚びたのであろう。
平田は、そんな讒言(ざんげん)に惑わされる高瀬が情けなかった。讒言、甘言、ご注進を一旦聞きとどめるのはいい。しかし、それをそのまま右から左に丸投げしては自らの定見も信念も何もないではないか。自ら精査吟味し、信条としていかなくてはただの操り人形と同じである。列車事故を起こした営業マンを、首にすると言った川岸の理不尽から守り抜いた正義はどこに行ったのだ。それはたまたまだったのか。
いつか河原が「高瀬は実務経験がないから迷走するので気をつけろ」と言っていたことを思い出し、高瀬の頑迷さに先行きが思い悩まれた。

楠田丘氏は制度の理念として、年初と評価時に部下と面接して役割や期待を明確に示し、その達成度などを話し合うことを求めている。
部内での検討会でもそれは積極派が多数を占めた。特に川岸はやれと、はっきり要求した。
ただ、平田はそのためには評価者研修や面接の仕方などの管理者研修が必要になることを思い、あまり気乗りがしなかった。それよりも早く制度を走らせたかった。ここであまり労力を取られるより次の制度に取り掛かりたかった。
しかし、川岸の思いは違っていた。
「制度の完成度や多少の齟齬はどうでもいいんだよ。マネジメントの責任者として部下と年に1度や2度話し合うことは当たり前だろ。その機会を提供する、それだけでもやる意義は十分ある。俺は難しいことはようわからんから、制度としての味付けはあんたの好きにすればいい」
それは、本社オフィスで机上の論理を積み上げるだけの者にはけしてない、現場で叩き上げ、額に汗し血にまみれながら組織と向き合い、戦闘を勝ち抜いてきた者が持つ本能的実戦感覚である。
「佐々木課長のほうで研修のサポートをしてやってくれ」
こうした川岸の組織運営感覚は、制度完成に向けての大きな推進力となった。
制度はこうした実戦感覚も加味されながら次第に洗練され、完成に近づいていった。
平田も制度の浸透を狙って、地区の営業会議や研修の場に積極的に出向き、制度の説明を必死でこなした。
高瀬の迷走ぶりは相変わらずだったが平田にはそんなことを斟酌するゆとりはなく、ガムシャラに制度の導入運営に突き進むことしか念頭になかった。
佐々木の協力もあって、秋には全管理職の評価者研修を大手教育機関のプロの講師を招いて実施し、制度の完全移行に向けての下地が整った。
平田にはこうした最も大事な局面にさしかかった時、誰かしら力強い協力者や支えとなってくれる人が必ず現れる。それは平田が優秀とか人望があるとかではなく、この課題や仕事を何とかやり遂げねばならないとする思いや志を持っている人が周りには必ずおり、けして一人ではないということである。そんな人々の熱い思いが平田の窮地を助ける形になるだけのことである。どこの会社にもそうした人が必ず何人かはいるものであり、その人たちはそこここでなにかしら異彩を放ち存在感を醸している。会社からも頼りにされ何か事あるときには進み出ることを要求される人たちである。
何が起きようと無関心、無興味で自分の世界に閉じこもり、感動や喜びに背を向けて生きるより、常にこうした熱い思いを持った人たちの中に身を置いて生きていたいものである。

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