ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.5-56

ト金

更新 2010.09.03(作成 2010.09.03)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第5章 苦闘 56. ト金

平田らが退任した後の組合を引き継いだ委員長の坂本は、白血病で急逝した作田の告別式の帰り道、平田にこう言った。
「歴史を本気で変えようとした者で最後まで生き残った者はいない」と。
そして河原もまた、
「この世に本当に要らなくなったら天が命を召していく」と言う。
歴史が教える不条理だが、作田が逝き、後藤田が去り、そして今また河原も……。平田にとってかけがえのない人たちが去っていった。
その河原が去っていく一月ほど前のことだ。
新しく登用された役員たちは当初の気負いの殻からすっかり抜け出して、それぞれの志も新たに自分の使命に取り組んでおり、樋口の夢の経営への第一歩は順調に滑り出していた。その裏付けとなる社債発行のために樋口たちがスイスへ旅立っているそのころ。
「ヒーさん。今度の金曜日、川岸さんの役員就任祝いを豊岡さんとこでやろうと思うんじゃが、あんたも来(き)んさい」
高瀬の誘いだ。
「それはいいですね。それでどんなメンバーですか」
「ト金会のメンバーなんよ。やっと歩がト金になったんよ。やらにゃいかんやろ」
「そうですね」言葉とは裏腹に、ト金会と聞いて平田の顔は強張った。
平田はどちらかというと派閥を作ったり、仲間と群れるのはあまり好きではない。できることならノンセクトのまま色を付けずにいたい。人と繋がるなら志とか夢で繋がりたかった。そんな志を川岸とは確認しているが、工場出身の平田にとって営業主体で構成されているト金会のメンバーはよく知らない。存在は知っていたが、どんなメンバーがどこでどんな活動をしているのか興味がなかったから聞こうともしなかった。もちろんト金会はオフィシャルなものではないから公になることもなく、メンバー以外は噂でしか知りえない。新川でやるということは、豊岡は既にメンバーであろう。誘ってくるからには高瀬もそうか。
“ト金会の立場としての主旨はわかる。それはしなくちゃならんだろう。しかし、俺もか……? 親しい友人知人のそれでもない。つまり、ト金会に入れということだ”平田は揺れた。
営業所で作った有志の会らしいが何やらおもねる臭いがしないでもない。ト金になることが目的なのか、それともト金になって何かを成すための政策集団なのか。そのために戦略会議か勉強会でも開くのか。平田は、メンバー構成もどんな考えや目的かも知らず、無防備なまま誘われた。
樋口に気を使って樋口が留守のこの時期を選んだのであろうが、何となく肩身の狭さも感じる。
こんなとき人は損得で判断するのだろうが、今の平田は好きか嫌いかで考えていた。自分の生きるスタイルとして合っているのか、悩ましかった。
しかし、川岸は平田を人事に呼んでくれた恩人だし、直属の上司だ。逃げられない。平田は観念して参加した。最後は川岸への恩義であり、川岸の志だけが頼りだった。

5月24日(金)、新川に集まったメンバーは錚々たるものだった。トップクラスの所長が5名。それも一癖も二癖もあるようなユニークな存在の者ばかりである。営業理論もそれぞれに一家言持っており、それを信条に特徴のある営業を展開し、販売成績は常にトップを競い合い、年間表彰にはいつも誰かが顔を出す常連たちである。
他に、所長代理、係長、主任などが10名、それに豊岡と高瀬。そこに平田が加わった。川岸を頂点に総勢19名の一大勢力である。それぞれの分野分野で絶大な影響力を持っている実力者たちである。
もし、これらが何か事を起こしたとき、相手にとって一大脅威となるのは明白で、樋口ならずとも「梁山泊になるなよ」と警戒するのも宜(むべ)なるかなである。
高瀬が世話役らしく仕切り、メンバーが改まったところで今日の集まりの主旨や段取りを手短に説明し、新メンバーとして平田を紹介した。
平田は、吉田や豊岡など営業の者と飲むのは珍しいことではないが、こんな大勢の第一線の中核者と飲むのは初めてである。工場の連中もよく飲むがこの連中もよく飲む。ただ、酔ったときのノリは工場の連中とはまるで違う。工場の連中は陰湿な日陰を好むシダ類の臭いがどことなくしないでもないが、営業のそれはハイビスカスのように南国の明るさで底抜けに陽気である。陰にこもって数人で議論をしたり、怒鳴り合うようなことはない。酔うほどに陽気になり、はしゃぎまくり、全員で歌い踊り出す。そのエネルギーは凄まじかった。
ここまで来てしまってはもう後戻りできない。ト金会の一員として明確に組み込まれた。
ただこのト金会も、川岸自身の会社の中での地位が高みに上っていくにつれ、豊岡や高瀬、平田など川岸のブレーン的メンバーも加わって、かって川岸が樋口に言い訳したような“お互いを励まし合う”だけの無垢な会から少しずつ独自の色彩を帯びていった。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.