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怒られて動く

更新 2016.05.23(作成 2009.08.14)

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第5章 苦闘 18. 怒られて動く

「あんたはそれでいいかもしれんけど、俺たちはその後の仕事があるんよ。森山さんは更に俺の結果を待っとるんよ。それくらいわかるやろ」
鈴原は憮然とした表情でそれでも手を動かそうとはしなかった。
「じゃ、私が読みますから打ってください」
鈴原は渋々パソコンに向かって手を動かし始めた。
「平田さん、どうせ今日中にはならんようだから私は帰ります」横から森山が断りを入れてきた。
「そうですね。賃金のほうは月曜日までには出しておきますから」
「はい。よろしくお願いします」森山は諦めて帰ってしまった。
森山は、平田のはじいた賃金をベースに厚生年金保険料や労働保険などの会社負担額を計算するのが仕事である。
営業部門係長、主任、一般職、臨時員。工場部門係長、主任、一般職、臨時員。管理部門係長、主任、一般職。管理部門の退職は主に営業からの異動で補充することになっており、その分営業の臨時員を+1することになっている。
鈴原との作業は2時間もあれば終わってしまった。
平田は今打ち込んだ要員計画表をアウトプットし高瀬に確認させた。時計はとっくに12時を回っている。
平田の手際良さと勢いに気圧され、
「これでいいやろ。これで行こう」2人の会話を聞いていたこともあって、高瀬は大した確認もせずOKを出した。
後は平田の力仕事である。
「ヒーさん。それじゃ、後は頼むわ」そう言い残して高瀬も帰ってしまった。それに連れて鈴原も帰っていった。
残された平田は一人徹夜仕事である。川岸との誓いで試練を覚悟したものの悲しかった。こんな詰まらないことで苦労するのは情けないではないか。本社人間の性根はこんなにも歪んでいるのかとつくづく嫌になった。
しかし、このことがあってから平田の人事部におけるポジションは一気に逆転した。「新参者が」といったどことなく見下した振る舞いを漂わせていた森山も鈴原も高瀬も、侮れないと思ったのか一目置き始めた。それまで「君」呼びしていた森山も「平田さん」と呼ぶようになった。聞くと森山は平田の高校の先輩で、4才上だ。一緒に学んだことはなく、入社に際しても大学のOBを訪ねることはあるが高校の先輩までは確認しないから平田には全く覚えがなかった。森山は人事で採用を担当していたこともあって平田が高校の後輩であることは知っていた。そのこともあって「君」呼びする珍しい一人だった。しかし、このことがあってからは態度が一変し、丁寧語で話すようになった。だが、平田にはそんなことも当然のように感じられ、全く気にならなかった。

人間は不思議だ。小生のように未熟な人間は大声で怒鳴られたり怒られたりしたら、ショボンと落ち込んでとてもファイトは起きない。あからさまにベタ褒めされるのも背筋がこそばゆいが、期待され認められれば「よし、また頑張ろう」という気になる。
怒鳴って動くものなら怒鳴ればいい。しかし、基本は褒めて使うことだ。期待され認められれば応えようとするのが人間だ。
一方で、鈴原のように怒られなければ動かない人間もいる。まるで馬車馬のようだ。鞭で叩かれ、鼻面を引きずり回されなければ動かない。情けない話であるがたまにこういう人を見かける。
人は叱ったり怒ったりせず、自由奔放に育てれば伸びやかに育つ。しかし、放任するとわがままで辛抱のできない人間になる。最近の事件で、彼女が言うことを聞いてくれないから殺したといった痛ましい出来事が起きているが、我慢できない人間の端的な例であろう。
逆に、しょっちゅうガミガミと怒鳴られ、いちいち些細なことまで指図されて育つと心が萎縮し、伸び伸びとした精神活動が阻害されてしまう。過ぎたるは及ばざるがごとしであるが、人を育てることほど難しいことはない。
こういう人は極端に人目を気にする。余裕があったり暇があるように見られるのは、いかにも自分が仕事をしていないように思われて不安になる。従ってメイクワークをしたり、忙しそうに振る舞って仕事をしているように思わせる。要するにポーズだけなのである。本当の仕事のアウトプットで勝負すればいいじゃないかと思うのだがそれができない人たちなのだ。人事に携わる人や部下を持つ人は、なかなか具体的仕事の成果が見えない人に対してはその仕事振りをよく観察することが大事であろう。
ドイツのホワイトカラーは終業時間の5時になったら全員帰宅し、趣味やレジャーや家族との団欒に時間を使うそうである。日本のようにやたら遅くまで仕事に没頭しているポーズは取らない。取る必要がないのである。純粋に仕事の成果だけで評価される仕組みができているからである。日本は未だ精神論や姿勢で評価するところから脱却できないでいる。だから社員は遅くまで残って頑張っている振りをする。

予算作成は辛うじて期限に間に合った。去年と同じ方針に沿って、昇給率は物昇+定昇、賞与は年間固定係数のみで前年同月数ということで算出した。
しかし、まだ1次編成であり2次3次の修正要求が来るのであろうが、これからの変更は設定変更で対応できる。昇給率を下げるとか、この政策を削除とかの対応になるのでさほど手間は掛からない。
そんなつかの間の仕事の谷間に、河原が歓迎の意味で飲みに誘ってくれた。
「ありがとうございます。いつ歓迎してくれるんかと待っとたんですよ」
平田はビールのグラスを合わせると冗談ぽく河原を詰った。
「すまん。遅なった。忙しいからな」ニコリともせず河原はまともに答えた。もともとめったに笑ったりしない男である。ニヒルである。
「なんだかしばらく出社しなかったらしいじゃないか」
「もう耳に入っているんですか」
「そりゃーそうだよ。そんな奴いないからな。話題になっていたよ。ついでに首になればいいと思った奴も多かったんじゃないか」
「エーッ。そんなこと思われないかんのですか」
「そらそうよ。お前が首になって、川岸さんも責任を取らされる。それが大方の期待だな。本社の連中なんか口さがない奴ばかりだからな、無責任に面白がるのさ」
「川岸さんまでも……」平田は、川岸に対する本社の抵抗みたいなものを感じた。

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