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隠ぺい

更新 2007.12.14(作成 2007.12.14)

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第3章 動く 43.隠ぺい

“人は定年だとか、解任されるとか、やむを得ない理由や物理的理由で辞めるのは気は楽だ。諦めがつく。しかし、自ら去っていく覚悟をすることほど辛いことはない。私もこの会社に来てもう14年、マル水時代から通算すると40年間営々と勤め上げてきたんだ。骨の髄まで染み込んだ会社人生に自ら踏ん切りを付けさせるなんて、酷というもんだ。そう簡単にできることじゃないよ。私は、体力も知性も理性もまだまだ旺盛だし誰にも引けはとらないつもりだ。それを君はもう不要だと言うのか”後藤田は一気にブランデーをあおり、窓の外の吉田に問いかけた。
“私はまだ元気なんだよ。出処進退は自らが決めることだと心得ているが、それは己に限界を感じたときのことだろう”
後藤田はそこまで考えてハッとした。
“経営としてこの惨状を改善できないことは、それが私の限界なのか”
後藤田は急に胸騒ぎがした。
“限界ならば引退も覚悟しなければならない。自ら進退するということはそういうことか。彼はそのことが言いたかったのか”
後藤田の自問自答はさらに続いた。
“まだまだ旺盛な心身も、ルーチンワークをこなすだけのために自己の存在理由を主張しようとしていないか。彼らの志に対して私の志はどこにある。今私のなすべきことは?一番賢明だと思ってた道が、一番残酷な選択肢になってしまうのか”
しかし、いくら考えてもたどり着くのは自らの存在理由だった。
“彼らの志を無下にしない。彼らを生かし、会社を救う。つまりはそれが自分の生きがいだし、この会社におられる理由ではないのか”
後藤田は、それ以外に自分が会社に存在できる理由を見つけることができなかった。それに、彼らにダメ専務の烙印を押されるのは悔しかった。“少なくとも彼らは私を信頼している”それを裏切るのは嫌だった。
“彼らのために、引退覚悟で手伝ってやるか”
「俺が前に出て改革を押し進める」とは考えず、あくまでも彼らの手伝いと考えるところが後藤田らしいところである。
後藤田はやっと気が楽になった。
“どの道首になるのであれば、彼らのために一肌脱いでやるか。まだまだ限界なもんかってところを見せてやるか。自分だけが辞めるのはバカらしいが、小田さんを道連れならこの首でもお釣りがくるというもんだ。ついでに浮田さんも連れていくか。どんなシナリオにしてやろうか”
人間突き詰めて考えていけば、なにか新しい境地が開けるもんだ。それまで重苦しく覆い被さっていたモヤモヤが消え去り、なんだかサバサバした気分になった。
「なにか難しそうなお話でしたわね」後片付けをしていた妻が、後藤田の背中に話しかけてきた。
「聞いていたのか」
「大きな声ですもの、時々聞こえるのよ。いつお辞めになっても構わないけど、私はもう少し頑張っていただきたいわ」
「わかっているよ。だけど覚悟だけはしておいてくれ」妻に対するせめてもの気遣いだった。

8月に入ると、組合は大会の準備に忙しくなった。それぞれの部長は活動報告と来期の運動方針を立てなくてはならない。昨年の今ごろは初めてのことでどうしていいかわからず、右往左往していたが今年は違う。明確な方針と具体的活動の成果がハッキリと見えている。しかも時間的ゆとりもあった。どの部長も自信に満ちた晴れやかな顔をしている。
平田も自分の置いた軸足に迷いはなかった。しかし、実績という点においては忸怩たるものがあった。賞与にしても昇給にしても最低水準で終わったからだ。しかし、これは自分一人でやったことではない。闘争委員会という組織全体の成果なのだ。方針、要求案は提案するが、交渉は組織全体で対応する。したがって、この2点に関する大会での活動報告は、総括幹事である書記長が行う。
平田は、賃金部として要求基準の見直しと地域手当の再検討を活動報告に挙げた。しかも地域手当の見直しは一般組合員の協力で着々と成果が上がっていること。要求基準の見直しはビジョンにまとまり、来期の要求設定から活用できることを報告した。
もちろん、運動方針にもそれに基づいて要求設定していくことを提案した。
中央委員会の討議を経て下部討議に入り、大会議案書は承認された。
生計費ビジョンが下部討議に掛けられると、会社の中にある種のざわめきが起きた。今までこんな大胆で具体的な改革案が出たことがなかったからである。“改革するとはこういうことか。こんな視点もあるのか”と目を見張ったのだ。誰も、いかにこじんまりとした既成概念の中で暮らしているかということである。もっと大らかに心を解き放てば、いろんなアイデアが浮かんでくるものを。とはいえ、日常のしがらみにどっぷりとつかった生活をしていると、なかなか難しいのであろう。遊び心豊かな人間はそういない。
ライフサイクルビジョンは、別の波紋も起こしていた。それは、自分の生活とビジョンを比べ、友達同士で俺のほうが上だとか、下だとか、こんな生活できないよ、とか言い合っていることだ。しかし、誰でも実際の生活は入ってきただけの収入で生活するものであるから、できるできないはないのだ。ゆとり感があるかないかだけである。

そんな執行委員会が終わったあと、吉田は三役を残し、後藤田との会談の一部始終を報告した。後藤田の家で会って1カ月近く経っている。その間も何度か専務室を訪ねて頼んでみたが、しかし結果は同じだった。
「そうですか。そりゃしょうがないですよ。そう簡単なことじゃないですからね。お疲れ様でした」作田がねぎらった。
「また、なにか次の手を考えないけんね。平田よ、なんか考えてくれ」豊岡は、自分たちの改革ゲームがまだ続くことが、半ば楽しいような言い方だった。しかし、他の者は沈痛な表情を浮かべていた。後藤田への失望と、自分たちの気持ちが届かない悔しさが滲み出ていた。
「しかし、役員会がそんな状態で正常に機能していないのは危険ですね。これからも何が起きるかわかりませんね」作田が心配そうな顔をした。
「私は製造部にいましたからよくわかります。殊更、情報を隠ぺいするんですよ。例えば、営業部なんかは、今日いくら売れたとか予算に対して進捗率がいくらとか、毎日速報で出すじゃないですか。製造部は今日いくら造ったとかも出しませんよね。能力が余りすぎていることがバレルのを恐れているんです。本来なら、今日は工場の稼働率がいくらで、運転効率がいくらで、製造原価はどのくらいとか出すべきだと思います。浮田常務自ら『情報を出すな』と命令しますから、製造部全体に隠ぺいの体質が出来上がってしまっているんです。皆さんいくら能力があるかすら知らないのと違いますか。興味もない。他所のことのように思っているからです。情報がないということはこうなるんですよ。だから好き勝手に工場を造り、業者と癒着してリベートじゃ接待じゃと金権体質が出来上がってしまったんですよ」平田は製造部の体質を暴露した。
「役員さんみんなが、自己保身に傾いてしまっているから自浄作用も働かないわけやな」豊岡が相槌を打った。
「だから、専務には立ち上がってほしかったのに。残念や」平田はしみじみと失望の色を表した。
“この件はしばらく打つ手がないな。なにか切っ掛けになるような出来事が起きるまでお休みや”そんな考えがぼんやりと浮かんだ。

かって、日本ハムが牛肉の偽装問題を引き起こした。このときもある一部の部署(この場合は関係会社)が偽装を隠ぺいし、社内にその牽制機能が働かなかったことが大きな問題に繋がった。
組織は全体最適より部分最適を求めたがるものだ。自部署の成績や組織のあり方などである。全体のために自己を犠牲にする部署などあり得ない。どの部署も成績を上げたいし、優秀な人材は欲しいし、戦力はたくさん欲しいと考える。それを大所から公正に律していくのが経営である。いかなる理由があるにせよ、一部署が独走することは、経営基盤を揺るがしかねない致命的問題を内包することになる。それを防ぐのは情報の共有化である。情報の共有化は、価値観を同質化するし、危機管理機能を高めることになる。どんな些細な情報もみんなで見ていれば見逃されるリスクは減らすことができる。
今また、‘赤福’だの‘白い恋人’だの自社最適に走り、利潤優先の不正が起きている。そんなことにエネルギーを費やし、チマチマした目先の利益を得たとしても、会社の存亡が危うくなれば元も子もないではないか。愚かしいことだ。
中国食品の浮田は、部分最適どころか自己最適に走ってしまった。そのため、ついに会社の屋台骨が揺るぎ始めてしまった。これも情報隠ぺいの究極の弊害といえよう。

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