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述懐

更新 2007.11.15(作成 2007.11.15)

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第3章 動く 40.述懐

「突然押しかけましてすみません」言葉は恐縮しきっているが、顔はニコニコしている。
後藤田の奥さんは、純日本風の楚々とした上品な女性で、自分は一歩も二歩も下がって、主人を立てるような古風な人柄である。痩せているので少し老けて見えるが、57、8歳であろう。
その奥さんでさえ、最初は“なんと厚かましい人かしら”と少なからず疎ましい感情を心に抱いていたが、吉田の愛くるしい顔を見せられると自然に引き込まれていって憎めなかった。吉田の顔はそれほど邪気のない純な顔をしている。
「これ、仙崎の蒲鉾です」と土産を渡すと、
「あら、すみません。高価なものを、ありがとうございます」と、嬉しそうな顔に変わった。
「まあまあ、こっちに来て座ってください」後藤田は先に立って、奥の座敷間へ案内した。
いかにも高価そうな無垢の座卓は綺麗な木目を光らせており、その上には既に料理が並べてあった。座卓を挟むようにして座椅子が座布団を載せて用意してある。後藤田は床の間を背にして座り、手のひらで吉田に座るように勧めた。
「まあ、とりあえず一杯やりましょう」後藤田はビール持ち上げた。
吉田の用件が会社のことであろうと、おおよその見当は付く。そのせいかどことなく表情が不自然だ。吉田と飲むときのいつもの陽気になれなかった。
「すいません。いただきます」対照的に、吉田はトレードマークの笑顔をニコニコと輝かせている。
襖は閉まっているが、遠くに器の鳴る音が響く。
「ところで、営業所支援のほうはご苦労さまでした。こんなこと初めてです。営業部のほうも大いに考えさせられたようです。これで少し会社が変わってくれたらいいのですが」
「ダメですよ。こんなことでは会社は変わりません。根は深いです。最近、所長連中から組合へ電話がすごく増えました」
「そうですか。組合に電話が増えたということは、会社に求心力がないということですか」後藤田はため息でも吐くような言い方だった。
「どんなことを言ってきていますか」
「言ってることは、大した内容ではないですよ。いつも私たちが言ってることと大差ありません。ただ、その意味するところが何かということです」だんだん、吉田の言葉に熱がこもってきた。
「会社より、組合のほうが信用が厚いということですね」
「そのとおりです。彼らは会社に完全に失望しています。といっても役員そのものにです。現場では、100円、200円の売り上げに命を削っているんです。しかし、いくら一生懸命頑張っても、片方で大金がドサッと転がり落ちていくわけですから、やりきれません。もう限界が近いです」
「限界が来たらどうなりますか」
「今はまだ、それでも、それでもと何とか緊張の糸が繋がっていますが、もしどこか一カ所でも糸が切れたら、将棋倒しで坂道を転がり落ちていくことになるでしょう」
「怖いですね。もっと悪くなりますか」
「そりゃ、そうでしょ。彼らが投げ出したら、業績の支えがないじゃないですか。彼らは組合にエールを送っているんですよ。組合で何とかしてくれと」ここで吉田は一息入れた。
「私たちが帰るとき、ほとんどの営業所長がご馳走してくれるんですよ。それも、交際費が削られていますから自腹です。最後の望みを組合にかけているんですよ。中には涙をこぼす所長もいました」
「何とかとはどういうことでしょうか」
「会社を正常化してくれということですよ。今、会社には2つの問題が存在します。まず1つが、山陰工場の問題です。あんな小さな市場にあんな巨大な設備はどう見ても異常です。結局、その償却と金利負担が赤字の根源になっているわけでしょう。もう1つは役員さんのお行儀です。毎晩のように業者と飲み歩いているじゃないですか。休みはゴルフ。皆さんいい顔色されてます」嫌味たっぷりな言い方をした。
「わが社はほとんどのゴルフ場と取引がありますから、営業マンがちゃんと見てるんですよ。そんな暇があったら、うちのディーラーさんを接待してほしいと言ってます。主客逆転じゃないですか。接待されるほうが弱みを握られるのは当たり前ですから、甘い汁を吸われているんでしょ。反面、わが社のディーラーさんはほったらかされて、売り上げが伸びるわけがないやないですか。こんなことが会社への不信感になって、営業現場のやる気を削いでいるんです。市場を回ってビックリしました。市場はグチャグチャです。チョット手を入れたらいいことが、全くできていません」吉田は、言いたいことが山ほどあると思った。
「ウーン」後藤田は小さく唸った。問題の根源はわかっている。しかし、どうなる。
「いいですか専務、これだけ組合に頼んでもどうにもならなかったとしたらどうなりますか。彼らは最後の望みを絶たれて、手を上げるんじゃないですかね。そのときは会社がダメになるときです。専務、どうするんですか」
「困りましたね。どうすると言われてもどうしようもないんですよ。役員会も身動きが取れないんです。これだけの投資を1年や2年で上手くいかなかったからといって廃止するわけにはいきません。かといって毎年これだけの赤字をこれからも続けていくのかと思うとゾッとします。正直、役員会が立ちすくんでしまっています。問題提起するにも、社長が切り出さない限りどうにもなりません。会社には力関係というものがあります」後藤田は、最後の言葉に力がこもったかなと思った。
「最近は、何か外部の状況が劇的に変化でもしない限り、この呪縛から抜け出せないような気になってきました」後藤田は、自分の闘志すら萎縮してしまっているように感じた。
「まるで、死後硬直にあっているようですね。役員会は死んでいるんですか」吉田は情けなかったが、さらに続けた。
「外部の変化とは、例えばどんなことですか」
「そうですね。何か市場に大きな変化が起きて、わが社の製品が飛躍的に売れ出すとか。あるいは、マル水食品を含めた役員構成に大きな地殻変動が起きて、それが我が社にも影響を及ぼすとかです」
吉田は、後藤田がやはり役員の変化を望んでいることに、やや気を強くした。
「あのー、今更こんなこと聞いてもどうしょうもないんですが、後学のためにお尋ねします」そう言って吉田は、改めて身を乗り出した。
「山陰工場を造るとき、本当に阻止する術はなかったんですか」当事者である役員たちの本音が聞きたかった。
後藤田は少し間を置き、当時を思い出しながら述懐めいた言い訳をゆっくりと始めた。そのことを理解してもらうには、役員会の本当の姿をわかってもらうしかなかった。自分への言い訳もあるが、吉田には後の歴史の証人として真実を知っておいてほしかった。
「これはわが社の悪い習性ですが、ほとんどの役員がマル水食品からの出向で来ています。言わば、軸足が半分マル水食品のほうを向いているわけです。マル水のご機嫌さえ取っておけばまず安泰だと。その自己保身根性が、いつしか自分の守備範囲だけの責任を守っていればいいという縦割り行政を作ってしまいました。役員会においても、他人の案件にはお互い不可侵条約のような状態で、干渉し合わないといった不文律が出来上がりました」
“この告白はすごいぞ”と思いながら、後藤田の話を吉田は目をつむって黙って聞いていた。経営のナンバーツーが、ここまで心を開いてくれることが嬉しかった。それだけでも来た甲斐があった。

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