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帰郷

更新 2016.11.09(作成 2007.11.05)

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第3章 動く 39.帰郷

7月も中旬である。梅雨も明け営業マンにとって一番きつい時期が来た。一斉に夏物商材に切り替えなければならない。少しずつやってきてはいるが、やはり梅雨が明けなければ勢いが付かない。
吉田は、「専務のことは俺に任せてくれ」と言ったきり、何の手当てもできぬまま2カ月以上が過ぎていることに少し焦りを覚えた。その間、手をこまねいていたわけではない。オルグなどやるべきことはやってきた。
みんなのオルグの報告や現場のリアクションから、それなりの手応えも感触として得ていた。
“そろそろ、後藤田専務にアタックしなけりゃな”この2カ月の間、いつどんなときも、そのことがトゲのように吉田の胸に突き刺さっていた。
吉田は、次期総会での役員交代を考えたときのタイムリミットを逆算してみた。
“12月末が決算期末。決算取締役会が12月上旬。もし、代わるとしたらそこで役員交代が告げられるハズだ。それには親会社の意思固めは10月中に終わらなければいけない。すると専務が動くのは8月いっぱいがリミットか。急がんといかんな”吉田は、後藤田の説得を決意した。
吉田は事務所に誰もいないときを見計らって、受話器をとった。
「専務、吉田です。今度の日曜日は何かご予定がありますか」
「いや別に何もありませんが、そういえば久しぶりですね。なんでも現場支援に出ておられるとか。ありがとうございます」
「はい、そんな報告も兼ねて専務の奥さんの手料理が食べたいのですが、お家にお邪魔してもいいですか」
街中で会うと、いつ誰に見られているかわからない。密談といういのは家に行くのが一番だ。
家に来るという言葉に、後藤田はちょっと面食らったが、悟られぬように慎重に言葉を選びながら、承諾した。
「おやおや、これは家内も見初められたもんですね。喜ぶことでしょう」
専務の家に押しかけるなど、並みの人間にできることではない。吉田の破天荒で天衣無縫なキャラクターだからこそできる業である。しかもそれをほとんどの人間が愛して止まない。疎ましく思っているのは心根のねじ曲がった小田、浮田一派くらいであろうか。平田も2、3度家に押しかけられたことがある。
「今日はヒーさんの家で食べようかな」なんて、ニコニコしながら打診してくる。愛くるしい笑顔でせがまれると、「はい、どうぞ、どうぞ」とつい言ってしまう。平田の妻も人が来ることは好きだから、大いに歓迎だ。

吉田は、後藤田を訪ねる前に週末を利用して郷里の萩に帰った。萩は幕末、日本を動かした多くの志士たちを輩出した町である。松下村塾の門下生たちが、吉田松陰の教えのもと、憂国の念に駆られて立ち上がり、明治維新という大きな事業を成し遂げた。
しかしその陰で、多くの若者たちが権力者の弾圧、特に新撰組の刃によって夢半ばにして倒れていったことも事実である。時は、多くの犠牲を飲み込みながら古いものを切り捨て、新しい秩序を築いていく。維新の一方の主役である坂本竜馬や西郷隆盛なども、維新という時代の犠牲者であろう。
今でも町全体が当時の面影を色濃く残している。海に突き出た半島の上にある萩城址や武家屋敷など、なんともいえない趣があり昔が偲ばれる。
高杉晋作の生家などが今でもそのまま残っている。
白壁沿いを散策していると、当時活躍した志士たちが今にも飛び出してきそうだ。高杉晋作が、久坂玄瑞が、木戸孝允が……。
この他、明治になっても活躍した伊藤博文や山県有朋、井上馨など、数え切れない歴史的人物が思い起こされる。
萩は、いかにも有能な人材を輩出しそうな、考える顔をした町だ。
“なるほど、この町にしてあのような若者たちが生まれたのか”と、納得させられる落ち着きがある。吉田も、この萩の町で育った。ただ、平田は、生真面目な長州志士より自由奔放な坂本竜馬に似ていると思っている。
戊辰戦争によって幕府は滅び、近代的中央集権国家のもととなる明治政府が誕生するのであるが、時代の寵児たちはこのような大きなうねりの中を、夢を抱いて駆け抜けた。思うことに夢中になれるのが若さだし、一途に、ひたすら信じる純粋さも若さだろう。
明治政府となっても、その中枢で活躍したのは萩出身者が多い。彼らには新しい日本を作るという明確なビジョンがあったからだ。
こんな小さな町でありながら、彼らの夢を追い求める情熱が時代を動かしたのだ。

政治であれ、経済活動であれ、芸術文化であれ、大きく成すところには必ず大きな志が存在する。そして強い意志がある。何事も成功するかしないかは、大きな志と強い信念があるかどうかである。
凡人との違いはひとえにこの一点だ。夢でも理想でもいい、真実を追い求める情熱と、いつかきっとという諦めない信念、これがあればいい仕事ができる。
企業経営においても同じで、企業理念やビジョンで人が動く。こうした1つの目標に、多様化した価値観を糾合し、ベクトルをそろえ、心を結び合えたとき、組織は大きな力を発揮し、一大エポックを画することができるのである。
また、変革が多大の犠牲とエネルギーを要求することも、歴史は教えている。だから、改革が進まないのだ。
現実に起きる犠牲は、痛みなどという生易しい奇麗事ではない。凄絶極まりない苦しみを伴うことを、為政者は知るべきである。
人事制度の変革も、生易しくては意味がない。しかし、強烈な変革の波に飲み込まれていく人もいる。その苦しみを知って進めるか、知らずに進めるかで、人事制度自身も生かされもし、死にもする。

蛇足ではあるが、萩にはもう一つ有名なものとして萩焼がある。萩焼はザラザラした感触のわりに、肌色や水色の淡い色合いが特徴で、剛と柔を見事に調和させている。茶碗底の高台に切れ目が入っているのも特徴だ。藩主の御用釜として市販が禁じられていたものを、故意に切れ目を入れてキズものとし、庶民にも使わせるようにしたのが始まりだとか。倉敷の備前焼と共に、中国地方の代表的焼物である。
豪胆な手触りと優美で淡い色彩が、萩という町の気風を象徴しているようだ。

吉田は後藤田との会見を前に自らを鼓舞するため、志士たちの心意気に触れたかった。萩城址に登り、木陰に腰を下ろし、海からの心地よい風に吹かれながら、あれこれと思いをめぐらせた。とはいえ、何か特にいい知恵が浮かぶわけではなかった。むしろ会社への憂いの念を強くするだけだった。
“当たって砕けるしかないか”
自信はないが、勇気をもらった。
吉田は、土産に仙崎の蒲鉾を少し多めに買った。仙崎の蒲鉾は新鮮で美味しいことで有名である。後藤田用に箱入りを、組合三役と事務局員の中原里美用にバラを1個ずつ買った。上等の蒲鉾はいい値段がする。安月給の吉田には少し痛いが、日ごろお世話になっている感謝の気持ちと奮発した。
吉田は、約束の6時30分チョット前に後藤田の家に着いたが、2分ほど過ぎるのを待ってチャイムを押した。

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