ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.3-32

男心

更新 2016.05.18(作成 2007.08.24)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第3章 動く 32.男心

「簡単さ。人のために自ら骨を折って、喜ばせてあげられるかどうかってことですよ」
「喜ばせてやることですか」みんな口を揃えて復唱した。
「何も難しい理屈はいらない。人のためにどれだけ骨を折ることができるか、自己犠牲できるかが男気の大きさだ。楽をしようと思ったらだめだ。一肌も二肌も脱ぐ覚悟がなくっちゃ男にはなれない」
平田は、つい先日豊岡が手術のことで無理に頼んでくれた卑近な例を思い出しながら、あれも豊岡の男気かと考えた。
「いい例が君たちだ。会社のため、組合員のためにひたむきに頑張っている。その一途さが尊い。それが男気だ。これが管理職になる素質だな」
なんだか、自分たちが将来の管理職を約束されたような錯覚におちて、面映かった。
「それで、どうして男気が管理職になる素質なんですか」平田が尋ねた。
「よく自分のことばかりを考える人がいるだろう。何でも自分が中心、自分のことが一番と考える人が。何で俺の給与はこんなに安いのか。何で俺よりあいつが偉いのか。何で俺がこんな仕事をやらされるのか。自分が、自分がって。それじゃ会社は困るんだよ。会社はあなたを満足させるためにあるんじゃない。逆なんです。あなたは会社に何ができるんですか」後藤田はそう言いながらみんなの顔を見回した。
「会社のため、社員のために尽くして、結果としてポストが付いてくるんです。いい仕事をしようというところから入ってくれなくちゃ困るんです。仮に、何かの手違いで管理職になったとしても苦労するだろうね。少なくとも部下からの尊敬は得られない」
「なるほどね」
「部下だってその男気に付いていくんです。自分のことしか考えない人には誰も付いていかない。誰も付いていかない人間にポストは与えられない。任侠の世界でもそうだ。男心に男が惚れて付いていくんだろ。会社の中でもリーダーになろうという人は、男気がいるんだよ。家庭も会社も尽くすということにおいては一緒だ。家族にできなければ他人にもできない。その精神が大事なんだ」後藤田の話にみんな聞き入っていた。
「ところがだな、男気には多少の見返りを期待する部分がある」後藤田の突然の切り返しにみんな目を見張った。
「それはね、見栄だ。男には面子というのがある。他人にしてやることで俺はこれくらいのことができる、これほどの男なんだと見栄を切ることになる。男気の中にはそれを期待する部分がある。それもまた大事だし、それが楽しいんだよ」
「どういうふうに大事なんですか」
「ウン、そうだな。例えば多少難しい仕事を頼んだとき、無理です、だめですとあっさり断られたらガッカリだよな。それを、わかりました、やってみますと、大見栄を切られたら嬉しいじゃないか。結果としてだめでも、頼もしさが違う。そういう、仕事のことを一生懸命考えているというアピールも大事だ」後藤田はそう言って一息入れ、
「男気っていいね」改めて強調し、嬉しそうに笑った。このメンバーに自分の期待像を話せたことが嬉しかった。

“人を喜ばせることができる人、人のために苦労することができる人”
後藤田の話を聞きながら、平田は心でつぶやいた。
「しかし、人を喜ばせるって難しいですよね」平田は投げかけた。
「大丈夫、やる気があれば誰でもできる」後藤田はあっさりと言ってのけた。
「目配り、気配り、心配り。これです。これが要領だな。いわば世渡りのコツみたいなもんかな。その類だ」
「世渡りのコツですか」みんなニヤと笑いながら復唱した。
「どういうことですか」
「この前、会社で若い人たちと飲んだんです。料理やつまみを買ってきてもらってね。そうするとね、料理や皿を運んで準備する人と何にもしない人と二通りいるんだな。よく観察しているとね、何もしない人は何をしたらいいか見えないみたいなんだな。飲み会とは何をするところか考えたら、料理を運ぶとかビールを出すとか、しなけりゃいけないこと、自分にできること、手伝えることが見えてくる。それが目配りだよ。それに気付けば、俺が手伝ってやればこの人は楽になるかなって心配りが自然にできる。待っている人に早く飲んでもらって喜んでもらおうという気配りもできる。目配り、気配り、心配りは、ニーズ探査だな。相手が何を望んでいるか、日常の会話の中や活動の中にいくらでもヒントが転がっている。会社の仕事もそうだろ。上司が何を考えているか、チームは今どこに向かっているか、その心は目配りしていたら見えてくる。つまり自分が何をするべきか、その役割が見えてくる」
「なるほどね。そういうことですか」
「でも、気付いてもしない人がいますからね」豊岡はまだ怒っている。
「うん、そうだな。気付かない人はただの愚図だけど、気付いてしない人は性質が悪い。むしろ人の失敗を喜ぶような陰湿さがある」
「専務はそうやって生きてこられたんですか」作田が無造作に尋ねると、
「専務はそんなことしないでも実力がありますよね。そんなこと聞いちゃいけんよね」と吉田がニコニコしながらたしなめた。
「いやいや、構わない。とことん話しましょう」ちょっと間をおいて、
「私は殊更意識はしなかった。ただ人を見ていてそう思うことがある。人が見えるということは、自然と自分の処世術の中に取り込んでいるということでしょうかね」自分の来し方を思い起こすかのように感慨深げな表情をした。
「結論」平田が、まとめようと大きな声で座を制した。
「管理職たる者、知識技能はもとより、男を磨いて人を喜ばせ、人の役に立つために一肌も二肌も脱ぐ覚悟がなくちゃだめだと、こういうことですね」
「そういうことですね。知識や技能はね、立場立場で求められるものが違ってきますから、立場立場で少し先を見て勉強したらいいんです。実務担当者は細かいところまで必要ですが、管理職や経営職になるとそこまでは必要なくなる。まして経営のトップクラスは全く違うものが求められます。そのいい例がここにいる川岸君だ。知識・技能では平田君にはるかに及ばない。だけど人事部長だ。この違いなんです。知識・技能は最悪わからなければ習えばいいんです。そういう知識のある人を使えばいいんです。その立場になるための人間を磨くことが大事です」
平田は、後藤田がこれほど胸襟を開き、自らを語ってくれたことに驚きを隠せなかった。これまでの後藤田のイメージは、クールでスマートな紳士といったものだった。これほど熱く語る後藤田は想像だにできないことだった。それゆえ、自分たちにこれほど語ってくれたことが嬉しかった。
「のう、平田よ。嬉しいね。専務がこれだけ話してくれて、嬉しいね。俺はこんな出会い初めてよね。嬉しいから、俺踊っちゃおうかな」豊岡が嬉しさを素直にぶつけてきた。
「おっ、やりますか」後藤田も喜んだ。
「おい、平田やるで」と平田の肩を叩いて誘った。
「ヨーシッ、やろう」
「ズッズッズッズッ……」得意の髭ダンスが始まった。狸踊りや裸踊りも次々に飛び出し、最後に川岸が安来節を歌いながら“どじょうすくい”を披露した。腕とズボンの裾をまくり上げ、タオルでほっかむりし、お盆をザルに見立てての見事な舞だ。目配せ、腰の振り、運手投足がなんともユーモラスで滑稽だ。これにはどんな出し物もかなわなかった。
山陰の所長時代、接待でお客さんを喜ばせるために、わざわざ先生に弟子入りして習得したのだそうだ。見事な心がけと言わざるを得ない。芸は身を助ける、とはこのことだ。
“これも男気か”
安来節「どじょうすくい」は出雲の代表的民謡である。三刀屋から出雲地方にかけて、刃物の原料となる上質の砂鉄が取れる。それをすくい取る動作から振り付けられて生まれたのだそうだ。地元には安来節審査会があり、3級から段位、師範までの階級があるそうだ。
歌詞も「出雲、名物……」のみならず、「おやじどこいく腰に籠さげて」など数種類あるそうだ。
お開きになったのは、時計の針がすっかり翌日を回ってのことだった。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.