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管理職

更新 2007.08.03(作成 2007.08.03)

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第3章 動く 30.管理職

妻が退院して10日あまりが過ぎた平田家は、すっかり落ち着きを取り戻した。何でもない平凡な日々の営みが、なんと愛おしいものか。平田は周りの全てに感謝したい気持ちだった。もし浮田との確執がなかったら、組合に誘われてなかったら、豊岡とこれほど親交を結ぶことがなかったら、もしかしたら助けてもらえなかったかもしれない。つくづく人の運命の不思議を思った。
会社のほうでは、人事部が昇給事務でてんやわんやしていた。そんな4月19日金曜日の夜、後藤田は豊岡の実家が経営する割烹料亭‘新川’で組合三役と会食を楽しんだ。近ごろは、どんな誰と飲むよりこのメンバーで飲むのが一番好きだった。何のわだかまりもなく、虚心坦懐に話し合うことができた。
「今日は川岸君との顔合わせがまだだったと思うので、若旦那に頼んで一席用意してもらいました。若旦那には自分の家で飲むようなものでご不満もおありでしょうが、たまには新川の料理が食べたくなってね」と、わざと豊岡をからかうように言った。
「とんでもありません。利用していただいて嬉しいですよ。今日は最高の料理を出させますので任せてください」豊岡は、後藤田がわざわざ新川を指定してくれたのを感謝した。
「改めまして、川岸です。なんせ初めてなもので何もわかりませんが、よろしくお願いします」川岸は背筋をピンと伸ばし、誰も指名しないのに自分から大きな声であいさつした。
組合三役も慌てて正座し、「こちらこそお願いします」と礼を尽くした。
川岸は、営業出身のため声は太くてでかい。しかし、けしてダミ声ではない。朗々とした響きの中に凛とした芯の強さを漂わせている。心根が澄んでいる証拠である。また、声の大きさは自信の強さを物語っていた。
“信念や哲学をきちんと持っており、しかもそれが正しい方向に向いている。露ほどの邪念も感じられない。何よりもやり遂げようとする意思の強さがある” 平田は“この人は偉くなる”と直感した。
川岸は巨躯というほどではないが、骨格のしっかりした体つきだ。その上、顔が大きいから他を威圧するような押し出しの強さがあった。正面から見ると気圧されそうになる。
「いきなり難しい交渉になって大変だったでしょう。どうですか、人事に来た感想は」後藤田は川岸を労った。
「はい、驚かされることばかりです」
「そう、どんなことですか」後藤田は相槌を打った。
「まず、私みたいなのがなんで人事なんかやらされるんだろうかって、いうのが一番の驚きです。まさに青天の霹靂です」
「そりゃ、そうだろうな。はっはっはっ」後藤田は、さもありなんとばかり高笑いした。
「次に、本社のすることは全て正しいと思っておりましたが、本社に来てそうじゃないことがわかりました。やらなきゃいけないことが山ほどあることに気づかされました」
「そうですか。大いにやってください」
「今回の交渉で平田さんにこっぴどくやられてわかったことですが、人事の制度関係が少し遅れているようです」
「平田君やっちゃったの」後藤田は、ニコニコしながら振ってきた。
「とんでもないです」平田は手を振りながら慌てて打ち消した。
「いやいや、それでなくちゃ面白くありません。切磋琢磨が会社を良くしていきます。大いにやったらいいんです。面白くなってきたね」
組合三役と川岸とはまだ肝胆相照らすというところまでいっておらず、お互いにまだ構えがあった。自然、こんな他愛もない話で終始した。しかし、他愛もない話は確かに楽しいがそればかりでは物足りない。もとより論客揃いだ。酔いもだいぶ回ってきたころ、ついに豊岡が我慢しきれなくなった。
「しかし、うちの管理職はバカばっかりですね」唐突に切り出した。
「ほら、豊岡節が出てきたぞ」後藤田は、思わず噴出しかけた口元を手で押さえてかろうじてこらえながら、「バカばっかりですか」と豊岡を煽った。
「そうですよ。大体真面目じゃないです。絶対こうしたほうが会社のためになるとわかっているのに、『言われもせんのにする必要ない』って言うんですから、なっとらんですよ。あんな連中、首にしたらいいんですよ」何か意見の食い違いでもあったのか、豊岡は腹に据えかねるようにぶちまけた。
「オヤオヤ、これは大変だ。若大将怒っとるね」後藤田は、こういうときの豊岡の歯に衣着せぬ直截な物言いが好きだ。嬉しそうに、豊岡を茶化した。
「大体、管理職ってどういう基準で選ばれるんですか」憤懣やるかたない様子だ。
「お気に召しませんか」
「召しませんよ。第一管理職といったら業績に一番責任を感じなきゃならんでしょう。それが、言われるまでやらんでいいなんて言うんですから、なっとらんです」
「はっはっは。今日は若大将があー言うから、管理職の資質について議論しましょうか」後藤田は、遠い昔の青年の心に若返ったような気がしていた。
「論理派の平田君としてはどうですか。今日は大人しいね」後藤田は、組合三役の中で平田にだけは君呼びだ。
「そうですね。管理職とかなんとかじゃなくても真面目でないといけませんよね。人間としての基本だし、それが全てのベースじゃないですか」平田は、今までの自分の上司の顔を思い浮かべ、“みんな失格や”と心の中で烙印を押した。
「ほらほら、強い味方が出てきたぞ」と、後藤田は豊岡のほうを向いた。
「その次はなんだろう。真面目だけじゃ管理職は務まらないよ」また、平田のほうへ振ってきた。
「そうですね、ちょっと聞きかじりを披露してもいいですか」
「いいとも、それを期待しているのですから」後藤田は心から嬉しそうに相好を崩している。
平田は、後藤田があまりに期待しているものだからちょっと照れくさくなった。
「ある本にですね、こういうことが書いてありました」平田はみんなの注目を浴びて眩ゆかった。

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