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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.3-29

更新 2007.07.25(作成 2007.07.25)

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第3章 動く 29.絆

「実は……」平田は一部始終を話した。
「みんなには迷惑掛けたかもしれんが心配でならんのよ。それに、このまま1カ月も待たされるんやからたまらんよ」
「そうか。そういうことだったんか。それは心配やのう。よし俺に任せとけ。明日まで待っとけ。俺がいいようにしてやるから」そう言うと、豊岡は平田の肩を強く叩き、もう一度「任せとけ」と、強く言って事務所に戻っていった。
今の平田は藁をも掴む思いだったから、豊岡の気遣いは涙が出るほど嬉しかった。
その夜のことだった。子供たちはすでに寝入っており、自分たちもそろそろ寝ようかというころ、豊岡から電話が入った。
「俺や。遅くにすまんが、早いほうがいいやろと思って電話したんよ」
「いえいえ、まだ起きていましたから。いろいろすみません」
「うん。今日のことやけど、うまくいったぞ」
「どういうことですか」
「1週間後に手術することになったよ」
「エッ、本当ですか」
「本当よね」
「ありがとうございます。助かります」
「あそこの外科部長がうちの常連さんでよく知っとるんよ。何とかならんかと頼んで、緊急の特別予備枠に入れてもらったんや」
豊岡の奥さんの実家が、新川という高級料亭を営んでいることは平田も知っている。豊岡が平田を組合に誘うとき、豊岡が自宅のマンションまで料理を運ばせてご馳走になったことがある。だが、まさか妻がかかった病院の外科部長がそこの常連さんだとは、神の助けだった。
「そうですか。助かりました」
「お前らが心配してるだろうと思ってな、明日と言ったが早く教えてやろうと思ってな」
「ありがとうございます。ずいぶん楽になりました」平田は、豊岡の気遣いが嬉しかった。
「そうやろうな。そう思ってな……。その代わり、幾ばくかのお礼は要るかもしれんぞ」
「もちろんです。それくらい何でもありません。そのときにはまた教えてください」
「それで、病院から手術の日取りとかなんとか連絡があると思うから、後はそれに従ってやればいいと思う」
「ありがとうございます。良かったー」平田はしみじみと感謝した。
「なあに、俺もお前やから面倒見るんよね。仲間やないか。当たり前よ」
誰でも、自分の家族のことならどんなことでもしてやろうと思うだろうが、人のことにも親身になって考えてやるのが豊岡だった。

手術は、ちょうど1週間後の4月3日の水曜日に行われた。九州から妻の母親も駆けつけた。もしかしたら、乳房を全摘するかもしれないということで全身麻酔がかけられた。手術室の外で待たされる平田は、両手に子供たちをしっかりと抱え、必死で神に祈った。
“無事成功しますように。そして悪いものでありませんように”気が狂いそうなほど長い時間が過ぎた。
手術中のランプが消え、外科部長が出てきた。
「手術はうまくいきました。今のところ悪いものではなさそうなので、シコリの摘出だけにしておきました。しかし、まだ組織培養してみないと最終判断はできません。1週間後に判明します」と、事務的な説明をし、「お大事に」と去っていった。
「ありがとうございました」平田は深く頭を下げた。
長く感じられた時間も腕時計をのぞくと1時間半しか経っていなかった。
“早く終わったということは、悪いものではなかったということなんだろう”何度も胸を撫で下ろした。
横を見ると義母も祈っていたのであろう、両の指を組み合わせたまま、まだほぐれていなかった。
“お義母さんにしてみれば、実のわが子だ。俺なんかよりよほど辛かったやろう”平田にも、やっと義母を気遣うゆとりが出てきた。
「良かったですね。お義母さん心配かけました」平田は、義母の肩に手をやった。
次に腰を低く座り、子供たちの手を取って安心させた。
「もう大丈夫だからね。しばらく入院するけど、すぐ元気になって帰ってくるよ」子供たちの顔からも、やっと不安の色が消えた。
この日は、面会時間のギリギリまで病室で過ごした。麻酔から覚めた妻は、説明を聞いた瞬間嬉しかったのだろう、ポロポロっと涙をこぼした。
麻酔の覚めきらぬか細い手を弱弱しくそっと子供たちのほうへ伸ばし、子らがその手を取ると涙を流しながら「ゴメンネ。ゴメンネ。心配かけてゴメンネ」と、何度も何度も繰り返した。辛さにじっと耐えていた子供たちも、緊張が解れたのと母親に再会した嬉しさで泣き出した。平田や義母も涙が止まらなかった。家族だけの病室に、しばらく泣き声が響いていた。

妻が入院中、義母は広島に滞在して家のことや子供たちの面倒などを見てくれた。お陰で平田は不自由なく仕事ができた。
1週間で妻は退院し、子供たちの表情も本来の明るさを取り戻した。組織培養の結果も良性であることが判明した。しかし、用心のため5年間は半年に1度の検査に来るようにとのことだった。
奈落の淵に立っていたことを思えば、今はそんなことは何でもなかった。
平田は誰よりも一番に豊岡に報告した。
「そうか良かったのう。ウン。良かった」豊岡も心から喜んでくれた。
先生へのお礼も、豊岡の指示通り相当なものをしておいた。かなりの負担となったが命のお礼と思えば安いものだった。
義母が九州へ帰る日、平田は目一杯の広島のお土産を持たせた。九州では義父が一人で不便しているだろう。そう思うと申し訳ない思いでいっぱいだった。酒好きな義父の好きそうなものをあれこれ選んで持たせた。
平田は、このとき義母が腹巻に500万円を忍ばせて来ていたのだと、後日妻から聞かされた。大卒初任給が6、7万のころで、今ではどのくらいであろうか。どんなことをしても治してやりたかったのだそうだ。さすがは実の親である。平田は親の覚悟を見せてもらった気がした。
“親というのはそれくらいの覚悟を持たなければならないのだろう”と、平田は頭が下がった。それはまた、孫たちのためでもあった。
このことがあって、平田家の家族の絆は一層強くなった。一旦は絶望の淵に追いやられながら、家族が力を合わせて乗り越えたという思いが、家族の結びつきを一層強くした。
“この出来事は、今までの俺に家族を思う気持ちが足りないことを神様が教えるための試練だったのかもしれない”
平田は、自分が何のために生きているかを改めて知った。
“人間一人では生きられない。この大事な家族があればこそ、自分は生きているのだ。俺を頼っている家族がいる。これからも俺は何がなんでもこの家族を守ってやる”そう誓った。
桜など見る余裕もなかったが、窓の外はすっかり葉桜になっていた。

人は、苦労や試練を共にしなければ本当の絆は生まれない。
楽しく遊ぶだけでは真の友情は生まれない。ただの遊び友達だ。
そんな友情は、ちょっとした苦難で裏切られることになる。
戦争に行った人たちの「戦友」という絆の強さを見るがいい。
命を賭けて助け合ったからこそ、あれほど強い信頼と絆を築いているではないか。もちろん私は戦争を知らないが、会社の上司にはたくさんの戦争経験者がいた。義父もその一人である。いろんな話を聞かされた。戦争出来事の話はすぐに忘れるが、いつまでも印象に残るのが友情の強さである。義父は今でも戦友を殊更大事にしている。
仕事の上でもそうではなかろうか。共に苦労してやり遂げたとき、初めて仲間としての信頼と絆が生まれると思う。家族もまた同じである。
人と人の結びつきは、苦難を共にして初めて強くなる。

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