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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.2-28

協議開始

更新 2016.04.18 (作成 2006.07.14)

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第2章 雌伏のとき 28.協議開始

会社の役員は、社長の小田を先頭に時間ちょうどに入ってきた。役員会議室にでも待機していたのであろう。全員揃って入ってきた。
全員が着席するのを確認して、人事部長の筒井が、
「それでは、昭和59年度の労使懇談会を開催いたします。初めての方もおられると思いますので、まず最初に簡単に自己紹介から始めたいと思います。着席のままで名前と役職名だけをご紹介いただきたいと思います。それではまず会社側からということで、社長からお願いいたします」と進行した。
筒井は、入り口側に用意されている正面を向いた別テーブルに座っていた。その横には人事課長が座っていた。
「社長の小田です」
「専務の後藤田です」と次々に名乗っていく。
後藤田は、吉田がどんなスタンスを示してくるのか、選挙結果のあいさつで顔を合わせて以来、ある種の期待をしていた。今日の日をワクワクするようなうれしい気分で待ち望んでいた。
「次に組合の皆さんの紹介をお願いします」
「委員長の吉田です」組合側も次々と名乗っていった。
平田は、無意識のうちに後藤田の目を見てあいさつしていた。後藤田も微かにうなずいたようだった。
一通り紹介が済んだ後、筒井は、
「本題に入る前に書記を決めたいと思います。会社側は人事課長の平野直樹に担当させます」
ここで平野は立ち上がって頭を下げた。
「組合のほうもどなたか選任いただきたいと思います」
「こちらは、坂本が担当します」吉田は坂本のほうを向きながら答え、目で「頼むよ」と了解をとった。
「ありがとうございます」と筒井が答えたとき、ある役員から、
「議事録は公開されるのですか」と質問が出た。筒井は、
「懇談会ですので、議事録がそのまま公開されることはありません。会合が終わった後に内容をお互いに確認し、公開する必要のあるなしとか、どこまで公開するかなどを協議しまして、必要ならば公開します。ただ、せっかく協議しましたのに無責任な言いっ放しになってはいけませんので、議事録を残して今後の運営に資することが目的であります」と答えた。
「わかりました」と小さな声でうなずいた。
「それでは早速本題に入りたいと思いますが、最初に社長のほうから会社の状況、今後の見通し、経営施策などについてお話を伺い、質疑は説明が終わった後にしたいと思います。それでは社長、よろしくお願いします」
小田社長の説明は30分ほどかかった。
「日本経済は、低金利の金融緩和政策や原油価格の落ち着きをベースとして、確実に回復しておるところであります。また、円高は徐々に進んでおりますが、世界経済の好調に支えられ、また原材料の輸入単価が低下したことにより、製造、加工産業が主体の日本経済全体は良好に推移しておると考えられます。
しかし、内需型産業である食品業界は好不況に左右されにくいとはいうものの、海外からの安価な食品が流入し競争の激化が進んでおります。また、この業界は設備を持たなくても外注生産などで、アイデア製品さえあれば新規参入がしやすい業界でもあり、過当競争が進んでおります。
そうした状況下、昨年度あたりから市場でのわが社製品の評価が著しく低下しておりまして、販売が苦戦しております。9月末時点までの累計販売実績は、対予算でも前年度比較においても大きく落ち込んでおります。この原因は、……(略)
また、今年度は山陰工場の原価償却負担が年間フルに掛かってくることと、金利負担もありますのでその分業績のマイナス要因になっております。
10月も既に半ばを過ぎておりますが、このままですと仮に10月以降が予算どおりに売れたとしましても、本年度の業績は大幅な赤字を覚悟しなければならない状況にあります。
今、河村常務のところでプロジェクトを組んで販売の建て直しに取り組んでおるところでありますが、なかなか実効が上がらない状況が続いております。
今後の対策としまして、来月より‘得々プレミアムキャンペーン’、‘プラスワンパックセール’などを推進し、この劣勢を挽回するべく取り組んでいく所存です。これら施策の初期目標を達成させまして、今年度の業績見通しを水面下ぎりぎりのところまでもっていきたいと考えております。
また、次年度は目下予算編成を急いでおるところでありますが、新製品の投入や新営業政策の施行を考えておりまして、何とか1億円以上の黒字を確保したいと努力している最中であります。
組合の皆さんにもこうした状況をご理解いただきまして、この難局を乗り切るためにご協力をお願いする次第であります」
言い訳とも弁解ともつかないような説明がやっと終わった。
平田は、前に並んでいる役員連中の顔を見た。どの顔も能面のように表情が沈んでいた。
「あなたたちは経営の当事者だろう。この状態にもっと興奮すべきではないのか」平田はそう叫びたかった。
組合側の他のメンバーも、説明の長さと内容の貧困さに失望と怒りで興奮しているのが伝わってきた。
起きた現象をダラダラと開陳しているだけで、トップの経営説明としてはいかにも内容の乏しいものであった。この状況を自らどう取り組み、どう打開していくのか、覚悟のほどが微塵もうかがえず、どの顔も自信喪失の気色を漂わせていた。
平田は隣の作田の顔をチラッとのぞいてみた。かなりいら立っている様子である。
とはいえ、説明は一応終わった。
「それでは、組合のほうから何か質問なり意見がありましたら伺いましょう」小田は渋面を組合メンバーに向けて質疑に入った。
吉田は、少し考えるようであったがゆっくりと顔を上げた。組合のトップは自分である。ここは他の者に任せるわけにはいかない。少し時間があったが、他のメンバーも積極的に自ら口火を切るほど立場をわきまえない者はいない。ここはまず委員長が切り出すべきだと認識していたから、委員長の発言を固唾を呑んで待った。

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