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胆固め

更新 2016.03.22 (作成 2005.06.03)

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第1章 転機 13.胆固め

当時、役員の担当業務は縦割りで、自分の管掌領域が決まっていた。今のように、取締役として経営全般について株主に対し責任を負う、といった役割が明確になっておらず、どちらかと言うと各事業部門の責任者といった色彩が強かった。

取締役が、経営のプロとして株主に対し会社の経営全般に責任を持つようになったのは、まだ後になってのことである。
それまでは、従業員身分の最高到達点という感じで、地位や役割に従業員との明確な違いが見出せなかった。
もちろん、これは日本的経営風土としての役員の処遇に関する性格を言っている。株式会社の生い立ちにおいて、欧米との違いから来ているものであろう。
処遇上のポストとしての色彩が強く、論功行賞的に取締役身分が与えられていたフシがあり、大きな会社になると3、40人近い取締役がいることも珍しくなかった。
執行役員制度ができ、取締役と業務執行役員とが分離し、それぞれの役割と責任が明確になってきたのは平成になってからである。
取締役は経営方針の決定と監督機能に限定し、株主と社員にその結果責任を負い、執行役員は業務の執行権限を持ち、その結果責任を取締役や社員に対して担うということが明確になってきた。

もともとは、1997年に取締役会の活性化を目的にソニーが導入したもので、38名の取締役を7名の取締役と専務以下の執行役員とに分離したのが初めてである。
最初のうちは執行役員は従業員身分か取締役身分か解釈もあいまいであったが、平成12、3年ころになってようやく従業員身分としての性格がはっきりしてきた。もちろん業務執行権限の委嘱度合いにもよるが、会社を代表するような業務執行権限の委嘱もないだろうから労働契約的身分が一般的となってきた。したがって執行役員の労働保険なども掛けている会社が多い。いや、この労働保険に加入させるために、むしろ企業側が意識的に従業員的身分に位置づけていった、と言ったほうが正解かもしれない。
つまり雇用契約なのである。

当時の中国食品も同様で、取締役、特に三役クラスになると各事業部門のトップ、一国一城の主的存在になっており独立色が強かった。したがって、自分の領域のことについては、他からの干渉を嫌った。自分もまた、他人の領域のことについてはあまり関心がなかった。他人にとやかく言われないためには、不必要に自分の管轄の情報を出さないことである。そんな意識が働いていたため、どの役員も情報管制にはうるさかった。販売の状況など、どの社員も関心があるようなものは販売速報などが会社の仕組みとして流れるようになっているし隠しようもないのであるが、製造の状況などというものは製造関係の者以外あまり関心を示さないからほとんど流す必要がなかった。
役員会における審議事項ですら自分の提案のときに口出しされたくないから他人の領域にもあまり口出ししない、という暗黙のルールのようなものができていた。せいぜい、わからないことを確認のために質問するくらいのことである。
本来ならば、経営者として経営全般に精通し株主や従業員に経営責任を果たさなければならないのであるが、自分の担当分野の責任さえ果たせばいいというようなところがあった。
技術や製造装置のことは浮田常務の管轄であったが製造部は日ごろから情報管制が特に厳しくしかれていたから他の役員には全くわからない。
政策についても、他の役員は‘口を出さない、わからない’といった状態なのでほとんど独善的に決めることができた。

昭和57年初頭、正月気分もようやく抜け、サプライヤーのあいさつ詣もやっと落ち着いたころである。浮田は、珍しく席を暖めていた。デスクで腕を組み、クルッと横向きに回転させた椅子の背もたれに首を預けて天井を見上げるように何やら考えにふけっていた。時々目を閉じて、寝ているのかと見まがうほど静かである。
中国食品では、専務以上にしか個室を与えていなかった。そのため、常務の浮田は個室がなかった。製造部の日当たりのいい窓際に、役員用のデスクと、デスクの前に応接セットが置かれているだけである。
製造部のスタッフは総勢21名だったが、こういうときは部屋がシーンと静まり返る。常務の存在を煙たがり自然に口が重くなるのと、考え事の邪魔をするまいとの遠慮がない交ぜになってみんな密やかな動作になっていた。
「下手に元気を出して目立つと何を言われるかわかったもんじゃないからな」
嫌みの一つでももらいそうで、
「おとなしくしておくのが一番や」と、かかわり合いたくないのが本音である。
浮田は、年末に社長から言われた宿題に思いを馳せていた。
「社長は本気なのだろうか。まだ、時期尚早の感がなきにしもあらずだが、急ぐ理由はなんだろうか。業績的にはマイナスだな。それでも本気でやると言うのか」
酒の席では「わかった」と言ったものの、まだ懐疑的である。
「リベートか」吐き捨てるように胸の中でつぶやいた。
「どれくらいをもくろんでいるのだろう。造るとすればやっぱり米子だな。場所は工業団地あたり。規模は将来を考えて広島工場と同じ能力くらい欲しいな。すると1万5千坪くらいが必要だな。坪15、6万円で約25億。建屋30億。設備40億。ざっと100億か」
思ったより投資額が膨らんだので、自分の考えにたじろいだ。
「資金繰りは大丈夫か。まあ、これは俺の心配することじゃないか。
問題は、役員会をどう乗り切るかだな。用意周到に行かんといかんな。反対しそうなのはやっぱり経理か……」
「社長がOKなのだから、まあなんとかなるだろう」
「リベートは、また後でゆっくり考えようか。楽しみは後にとっておこう」
ここまで考えて胆(はら)を決めた。

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