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赤字へのプロローグ

更新 2016.03.22 (作成 2005.05.13)

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第1章 転機 11.赤字へのプロローグ

地位が人を育てると言うが、それはそうした気概を持った人に言えることで、何の心の準備もないまま社長になってしまった小田には当てはまらない。
悲しいかな、トップとして経営するだけの経験も、心構えも、力量もないまま、分不相応な役回りを演じなければならない小田には、自らの演目すら飲み込めていないフシがある。
マル水食品の支社長から、子会社である中国食品の営業担当専務として送られてきたのである。経営の何たるかは修めていなかった。真の経営者として鍛えられていないのだ。
社長として自ら襟を正し、社内を引き締めなければならないにもかかわらず、力不足を自覚していたし、自分が社長になった経緯からして、どうせショートリリーフと思っているから、どうしても真剣に経営にのめり込むことができない。
先の拡大取締役会で、マル水食品の樋口専務に「営業業績と心中するつもりでやってください」と言われたことなど、とっくに忘れてしまっている。
はじめから真剣みがないのだから、自然、脇が甘くなり、スキだらけである。野心家からすれば、極めて利しやすいということになる。
浮田は役員レースの中で自分の立場を有利にするために、また業者は取引を有利に運ぶために、一体となってのおみこし担ぎが始まった。
とくに、製糖メーカーの営業姿勢には目を覆うものがあった。
製糖メーカーにとって、大量の砂糖を使う食品会社は大事なお得意さまである。折しも、製糖業界は過当競争時代が長い間続いていたから、購買窓口への営業攻勢も熾烈を極めていた。
「浮田常務、今夜‘新月’で一卓かこみませんか。うちの支店長が久しぶりにごあいさつしたいと申しておりまして、『是非社長をお誘い申し上げろ』と聞かないもんで、何とかよろしくお願いいたします」
N製糖の営業課長である。
「あア、そうですね、いいね。社長の都合を聞いて連絡しますよ」
「是非、お願いします。もし社長がだめでも、常務だけでもお願いします。新月に4人ほど席を設けてございますから、なんでしたら磯崎課長とか、他のどなたでもお連れになってください。とにかく、今夜はご一緒させていただきます。でないと、私は会社に戻れませんよ」
新月は広島でも有名な高級料亭である。高い門構えを玄関まで車でくぐり抜けると、うっそうとした庭木に遮られて外から中の様子は全く見えない。時折、三味線の音が流れてくるくらいである。
小田も浮田もマージャンが大好きだった。接待する側もその辺の好みはよく心得ている。
まずは新月の旬の会席料理でもてなし、たわいのない話題で盛り上げる。その間に、自社のシェアーアップや単価アップの話が出たであろうことは想像に難くない。
アルコールで勢いも出てきたころを見計らい、
「それでは、そろそろあちらの部屋で勝負といきますか」N製糖の支店長が水を向けた。隣の部屋にはジャン卓が用意されている。
「よっしゃ。それじゃ今日も勝たせてもらいますかな」
「そうはいきません。返り討ちといきましょう」
軽口を叩きながら、別室へなだれ込み、マージャンが始まる。いつものパターンである。
大体、半チャン4回、ないし6回でお開きとなる。あまり遅くなると店に迷惑がかかる。お土産代わりに適当に勝たせて、帰すのである。
接待側にしてみれば、2人を負けさせては席を設けた意味がない。負けても小さく、勝つときは大きくなるように、さりげなく演出しなければならない。それを気付かれないように成立させるには相当のマージャンの腕前が要る。毎日接待で鍛えた技量がここで活きる。
「イヤー参りました。さすがにお強い。この次はリベンジしますからな。大事に取っといてくださいよ」
「なーに、実力ですよ。こちとら、いつでも受けてたちますよ」
そうとも知らずに2人は無邪気に喜んだ。歯の浮くようなお世辞だが悪い気はしない。
2人にとってこんな楽しいマージャンはないであろう。

接待は金と権力の象徴である。一度味を覚えると酔い痴れてしまう魔力を持っている。一旦手を染めると抜けられない麻薬のようなもので、切れると寂しくてやりきれない。たまに空きの日ができるとうずうずしてくるのである。
しかし、小田と浮田の2人にその心配は要らなかった。食品会社は製品を作るために調達する原材料の種類がやたら多く、その分納入するサプライヤーの数も多い。それらのサプライヤーが入れ替わり立ち替わり日参し、夜の接待を設定するのである。よほど脇の下をしっかりと固めていないと肝っ玉をつかまれてしまう。
経営者として本当に鍛えられたことがある者なら、
 「いくら誘われても、受けるのは3回に1回にしろ」
 「最初の店をご馳走になったら、次はこっちで持て」
 「盆暮れの付け届けは、必ず相応のものをお返ししろ」
といった役員としての初歩的心得をトップなり先輩役員から諭されているものだが、小田にも浮田にもそんな心得がなかった。
一度上役を懐に取り込んだサプライヤーというのは虎の威を借る猫よろしく、居丈高に居直ってくる。彼らもまた、無駄に投資はしない。投資した分は必ず回収に入る。それは取引条件だけでなく態度までも横柄になってくる。
納入単価が高く、担当者が値下げ要求しても、
「いえいえ、これはもう常務の了解を頂いておりますから。常務によう聞いとってくださいよ」などとビクともしない。
“なんでお前に言われなきゃならんのだ” と担当者は臍(ほぞ)を噛むのだがどうしようもない。
業者のほうは幾多の修羅場を経験してきているだけに、スタンスの取り方は心得たものである。一担当者など歯牙にもかけないほど小バカにしてくる。どっちが客かわからない。立場は完全に逆転してしまっている。
人間の力関係なんてものは、誰とつながっているかによって立場を超えたバランス関係が出来上がる。金であれ、能力であれ、献身的忠誠心であれ、権力者の信頼さえ得れば自分の立場以上に影響力を持つことができるのである。それは、必ずしも直属の上司でなければならないことはない。
1円でも安く、という担当者の努力は虚しく消し飛んでしまう。
いくら努力しても無駄だとわかれば誰も努力しない。社員はやる気をなくし、会社はいよいよダメになっていく。
こんなことが日常茶飯事に見え隠れし、平田や豊岡は、はらわたが煮え返るほど憤懣やる方なかったが切ない現実である。
簡単に取り込まれるような脇の甘い役員も悪いが、サプライヤーの営業姿勢にも問題がある。しのぎを削ってこそ進歩があるというものであろうに、役員に鼻薬を効かせるという一番楽な、そして、卑怯な営業方法を取っている。そこには切磋琢磨の自己練磨はなく、癒着というシガラミが生まれるだけである。
このような出来事が随所で見られるようになったが、それは中国食品が赤字へ転落していくほんのプロローグにすぎなかった。

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